小説

『アクリル越し』洗い熊Q(『たぬきの火の用心(神奈川県)』)

 内容云々よりも、僕がコレを出した事がこいつは気に入らないだけなんじゃないか?
 もっと見てくれよ。きっと真面に読んでないかも知れない。そう思うとムカつきは頂点に達した。以前からこの会社に対しての不満は多々あった。
 もう限界だ。このままだと自分を殺しかけない。
 何もかもぶちまけてしまえ。この後どうなろうと関係ないだろう。ここで終わったっていいじゃないか。
 思わず力一杯に拳を握り込んだ。後は感情に身を任せるだけだ。もう今まで塞き止めていたものを解き放て。これが終われば、何もかもから開放されると信じられた。
 自分でも顔が真っ赤になって熱くなっているのが分かった。一線を越えようと上司に向かって一歩前に踏み込んだ。
 その時だった。

 ――こんこんこんこん。

 その音に我に返った。
 本当に自分の胸を叩かれた様な錯覚があった。
 思わず振り返る。音は背後からしたと感じたからだ。
 見れば誰かが事務所の扉をノックしながら入って来ていた。今時、自分の職場に律儀にノックする人間なんて殆どいないのに。
 上司もその音が気になったらしく、僕越しに入って来た人を確認しているのだ。白熱しそうになった空気が、そのノック一つで止められ不自然な間が空く事になった。
 それが良かった。いや、救われた。
 その一瞬で自分の怒りの矛先が何なのかに気づいたのだ。
 この惚けた顔の上司にだったのか。いや以前からムカつく言動があったが、理不尽に怒りを覚えた訳じゃない。そう、言いたい事は分かるんだ。上司は上司なりに会社の事を考えているのだと。不満に思えるのは彼が上の存在に気を使い過ぎが面白くないだけだ。
 じゃあこの怒りは誰に向けてだ?

 そうだ、自分だ。自分に向けてだ。
 何故そう思う。この企画書の中に自分のありったけの想いがあった。それが伝わらない。伝え切れていない自分に腹が立っていた。
 一瞬の間が空いて気を取り直すように上司とまた視線を合わせていた。
「何だ、何が言いたい事があるのか?」と鋭い目で上司が言って来た。
 だがそれに対して敵意など微塵も思わない。まだ足りないんだと感じた。
 その後は必死だった。どうしたら自分の考えが伝わるかなんて分からないが、思いつく限りの言葉で伝えた。
 口論になるかと危惧したが、終始上司はじっと僕の話を聞いてくれていた。ぐったりするほど熱を込めて、一通り話してもう続かないと終えた時、じっと考え込んでいる上司の姿が目の前にあった。
 そして一言。

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