小説

『粗忽ノーフューチャー』平大典(『粗忽長屋(江戸)』)

 二二世紀初頭のことだ。
 八さんは、ある日曜日、近所の浅草寺に寄ったついでに、商店街へふらりと散歩した。ちょうど肉屋さんの前に人だかりができていた。
「おぅすまねえ」好奇心が強い八さんは、野次馬を押しのけて、前に出る。「なんだい、こりゃあ」
 二十歳くらいの若い警官が、行き倒れの男性——ジョン・ドゥ——を介抱していた。
「大丈夫ですか?」と制服姿の警官が話しかけてもジョン・ドゥは、「うーんうーん」と唸っているだけだ。
 お節介な八さん、早速二人に駆け寄る。
「どうしたんだい、おまわりさん」
 八さんが話しかけると、若い警官は顔を歪めた。
「この人がいきなり倒れたらしく、我々に通報がありまして。話を聞いているのですが、ご覧の様子。本人は自分が誰だかわからんという奇妙な状況です」若い警官は、一度唸る。「指紋なんぞを照会掛けても誰とも符合せず。……最近は変なドラッグやいかがわしい仮想空間も流行っている御時勢。さすれば、この人も、悪人にかどわかされてしまったショック性の記憶喪失者かもしれぬのです」
「へえ、ツラを見せてみな」八さんは、ジョン・ドゥの顔を睨んだが、もちろん見覚えはない。しかし、あることを思い出すと、腕を組んだ。「ううむ、そういや、さっきマンションを出てくるときだけどよぅ、クマ公がなんだか酒の飲み過ぎで具合が悪いと言っていたな。……まさか、クマ公の奴が行き倒れたんじゃないわな?」
 思い込みの激しい八さん、もうこうなると駄目だった。
「知り合いですか?」
「俺は八と申すものだが、こいつは多分クマ公だ。俺が大家やっているマンションの住民だが、おっちょこちょいでな。ここに来る前に顔を合わせたとき、体調が悪いと言っていやがったんだな」
「ああ、そうですか」警官は胸をなでおろした。「こちらの男性は、そのクマという男性で間違いないのですね?」
「そうよ!」八さんはイキのいい返事をする。「じゃあ、俺がひとっぱしりして、本人を連れてくるからな」
「はい?」
 この若い警官は、非常に真面目な男だった。
 だから、八さんが言っていることをまったく理解が出来なかった。
「ちょっと待ってな。きっとクマ公の野郎、家でゴロゴロしてんだ。本人に聞くのが一番早いよ」
「それはそうですけど……」警官は少考し、合理的な考えに達した。「えっと、整理するとですね、この倒れて息も絶え絶えな方は、そのクマ何某さんのクローン人間てことですかね?」
「おまわりさん、また難しい話をしなさんな!」
「あの、クローンの製造及び保持は……」
 警官が呆然としている間に、八さんは自分のマンションへ走り去ってしまう。

 
マンションへたどり着いた八さんは、早速二階にあるクマの部屋へ行く。
「おい、クマ! 起きろ」

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