小説

『大阪アルプス』香久山ゆみ(『天保山の故事(大阪)』)

「もうすぐ着きますよ、渡し船」
「渡し船!?」
 ハンドタオルで汗を拭き拭きぶうたれていた先輩がきらきらした声を出す。
 昭和山から30分ほどで甚兵衛渡船場に着く。市が運営する八つの渡船場の一つだ。
「え、ただなん。これ、ただで船乗れんの」
 先輩はしきりに運賃無料に感動している。出航時間まで少し待ち、ものの数分で尻無川を対岸まで渡る。平日仕事帰りに船に乗ったという事実に先輩はいたく感激していた。私も。
 上陸後、さらに西へ進む。
「……なあ、バス……」
「歩きます。あと小一時間ほど歩くだけです」
 ぎゃふん、とへんな鳴き声がしたきり先輩は黙ってしまった。黙々と歩く。先輩は私より三十センチ近く身長が高いから、歩調を合わせてくれているのだろう。私も少し早歩きのペースで頑張る。
「お。ちょっと寄っていかん?」
 コンビニの前で先輩が立ち止まる。アイスコーヒーを奢ってくれるという。
「人のいるところではマスク外さない! 飲んでる時は顔を向けない、話さない!」
 遠慮したものの、なぜか先輩から強く喫茶心得を言い渡されたうえ、奢られてしまった。
「すみません。ごちそうになります」
 コンビニを出て礼を言うと、先輩は目を細めた。
「あと、無理をしない!」
 そう言って、私の頭に大きな手を載せて、ポンポンと軽く叩いた。
「ほら太陽で頭熱なってる。仕事でも頑張り屋さんやからなー。大丈夫か、無理してないか」
「だいじょうぶですよ!」
 わたわた手を払いのける。
「もう、なにすんですかっ。頭ポンポンしていいのはイケメンだけやって昔から決まってるんですよっ」
「そっか。おれイケメンでよかったー」
 飄々としている。私ときたら、日はずいぶん傾いてきたのに、体は熱いし脈も速い。甘いアイスオレをちびちび飲んで落ち着いてきた頃に、ようやく天保山に到着した。
 少し薄暗くなった公園内をうろうろしてようやく三角点を発見する。
「標高4.53m、ここが日本一低い天保山ですよ!」
「いまは二番目やけどな」
「え」
 えへんと胸を張った私に、先輩があっさりつっこむ。
「もともとは日本一やったけど、東日本大震災の地盤沈下でいまは仙台の日和山が標高3mで日本一低い」
 へぇー。先輩の背後に黄金色の後光が射している。

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