小説

『朱美の物々交換』吉岡幸一(『わらしべ長者』)

「この鉛筆をあなたの持っている物と交換してくれませんか。なんだって構いません。いらなくなった物でも大丈夫ですから」
 朱美は未使用のHBの鉛筆を一本手に持って道行く人に声をかけていた。
 日曜日の午前九時、普通電車しか止まらない郊外の駅とはいえ人通りは多い。ぽつぽつと仕事へ向かうサービス業の女性や休日のお出かけをするカップルや塾へ向かう学生の姿も増えている。
 皆、朱美のことを怪しげな商品を売るセールスかモーニングサービスをしている喫茶店の客引きとでも思っているようで、鉛筆を差し出す姿をいぶかしそうな目で見るだけで、誰も立ち止まろうとはしなかった。
 それというのも朱美はブツブツと小声で言うだけだったので、通り過ぎる人らからは何を言っているのかわからなかったからである。
 朱美は十七歳のどこにでもいるような女子高生。人が警戒する奇抜な格好をしているわけでもないし、強面でもない。きちんと聞こえる声さえだせば、立ち止って話を聞いてくれそうな人くらいすぐに現われそうなものだったが、駅前に立って一時間が過ぎても鉛筆一本の交換どころか興味を持ってくれる人すら現われなかった。
 理由は簡単だった。朱美はあまりに人見知りで、他人の目をみて大きな声が出せなかったからだった。
 人見知りの性格を克服したい。そう思って始めたことだった。高校のクラスで除け者にされているようなこともなく、話しかけられればクラスメイトと普通に話をすることもできる。ただ友達と呼べるような相手はなく、高校三年生の夏が始まる頃になっても昼休みの弁当はいつも一人で食べていた。
 他のグループに声をかければ混ぜてくれたかもしれない。友達にだって……。しかし朱美は自分から声をかけるような勇気がなかった。自分からは何もしないで、誘われるのをただ待っているだけだった。
 すべての原因は人見知りにあると考えていた。人の目をみて話すことができないような性格を直して、積極的に友達の輪に入れるようになりたい。できれば親友と呼べるような存在をつくってみたい。このまま卒業したくない。
 生真面目な性格だった朱美は表面的にごまかすのではなく、根っこから自分を変えたいと思った。そのためには社交的な人でさえ、なかなか出来ない荒療治をしなければならない。そうしなければ克服なんてできるわけがない。根拠がなくて無茶な方法かもしれないが、このくらい思い切ったことをしないと頑固な人見知りは克服できないと思って行動にうつしたのだった。
 昔話の『わらしべ長者』のように物々交換をしてみよう。たまたまつけたテレビで昔話のアニメを再放送していたことを思い出した。わらしべ長者はわら一本から金持ちになった。だけど鉛筆一本から金持ちにならなくたっていい。鉛筆が金塊ではなく爪楊枝になったってかまわなかった。この方法で人見知りさえ克服できれば……。

 日当たりのよい駅前に立って二時間ほどしたころ、スーツ姿の男が目の前に立った。
「いくら?」と、男は朱美の顔をじろじろと覗きこみながら聞いてきた。
「売り物じゃなくて、鉛筆と何かを交換して欲しいんです。なんでもいいんです」
「じゃ、オメガの腕時計をあげようか。ホテルに入ってから渡してあげるから」

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