小説

『襲名』坂井千秋(『庭』)

 大量のフラッシュが焚かれる中、艶やかな純白の布が掛けられたテーブルの前に兄が座った。この日のためにあつらえた黒紋付に身を包み、晴れやかな顔をカメラに向ける。兄の隣には父が座る。厳格で、笑顔を見せることのめったにない父だが、今日はどこか満足気な様子だった。
 会場に来るまでの車中で、父は泣いた。と言っても、泣いている顔を見たわけではない。父が窓の外に目を向けて、「頼むぞ」と兄に言った時、声に涙の混じるのを聞いた。父が泣くのを見たのは、正確に言えば聞いたのは、それが初めてのことだったように思う。
 「十三代目相馬凌(そうまりょう)雲(うん)襲名披露」という達筆の文字が二人の座る席の背後に掲げられている。陶芸家・十二代目相馬凌雲、つまり父は人間国宝だった。その父が陶芸家を引退する。それは持病の腰痛が悪化したためという側面もあったかもしれないが、それ以上に、陶芸家としての兄の成長によるところが大きいのではないかと私には思われた。今の兄になら、安心して跡を継がせられると父は思ったのだろう。車内での父の涙がそれを物語っていた。

 兄と私は双子だった。顔も背丈も瓜二つで、並んでいるのを見れば誰もが双子だと気づいたことと思う。幼い頃から私たちはいつも一緒に遊び、仲も良かった。
 顔はそっくりでも性格に相違のあるのは双子にはよくある話だが、私たち兄弟においてもそれはよく当てはまった。殊に兄と私の場合はそれが顕著で、真逆と言っていいほどであったように思う。兄は前向きで外向的な人間だった。反対に私は引っ込み思案で、思ったことを口にできない性格をしていた。それゆえ兄は家に籠りたがる私を何かにつけて連れ出した。兄に連れられて出かけていくと、兄の友人たちが待ち構えていて、その中に私も交ぜてもらっていた。自然、兄の周りには人が集まったのである。
 そういう性格をしていたから、私は虐めの標的にされることがあった。そんな時にも、救ってくれたのはやはり兄だった。同じ顔をしているからと、兄は私の振りをしていじめっ子たちの輪の中に入っていき、そこで思い切り暴れた。一度そういうことがあると、また兄が弟に成り済ましてやってくるのではないかと疑心暗鬼になるのか、私が虐められることはなくなった。
 兄は勉強もよくできた。分からないところがあると兄によく訊いたものだが、兄は嫌な顔ひとつせずに根気よく教えてくれた。私は勉強が苦手だったのである。成績が悪かったことで、母とよく学校に呼び出された。その度に、教師は必ず兄を引き合いに出し、私を責めた。私はそれをなんとも思わないどころか、むしろ嬉しささえ感じていた。それは優秀な兄を持った喜びであり、その弟でいられることに私は誇りを感じていたのである。
 その気になれば有名な進学校に通えたはずだが、兄は私と同じ公立の中学、そして高校へと進学した。私にはそれが歯痒くもあったが、同時に嬉しくもあった。中学でも高校でも、兄は常に周囲からの注目を集めた。私はそれをいつも近くで感じることができたのである。同じ顔をしているはずなのに、中学に上がってからは、兄と間違えられることはほとんどなくなった。たまに間違えて声をかけられると、「あ、なんだ弟か」と相手は失望を露わにした目で私を見た。その眼差しは、私を大いに満足させた。

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