小説

『こんがらがった線』いいじま修次(『金色の糸と虹』)

 護衛は、政治家の秘書になった事で、それを良く思わない者や、彼の能力を利用しようとする者から守る為であり、その狙う目は海外の権力者からも向けられていた。
 だが彼は、その生活に不自由などを感じてはいなかった。
 報酬は高く、護衛付きだが行動は制限されず、何より政治家の計らいで多種多様な人間が別荘を訪れ、彼に語らいの場を与えてくれる事で、さまざまな『こんがらがった』を楽しめたからだ。

 太陽のやわらかな夕暮れ前。
 距離を空けた護衛を後ろに、彼が砂浜を散歩していると、一人の少年が砂の上に座って懸命に何かをしている姿があった。
 少年は彼に背を向けていたが、頭の上に浮かんだ『こんがらがった』で、何をしているかは分かった。
 両親と海へ遊びに来た少年は、父親が絡ませてしまった釣り糸をもらい、それをほどこうとしている。
 少し離れた波打ち際には、投げ釣りをする父親と、その側にいる母親の姿もあった。

 彼は足を止め、少年の後ろ姿を見つめ続けた。

 カウンセラーやコンサルタント等の仕事が上手くいかなかった頃、彼は両親と喧嘩をして家を出ていた。
「人の目を見て、人の言葉を聞きなさい」という忠告が煩わしかった事が原因だ。

 波打ち際にいる両親が、少年に呼びかけた。
 少年はその声が聞こえても、しばらくは釣り糸をほどき続けていたが、何かを伝えようと大声を上げる両親の方を見た途端、目の前に広がる光景に、その手を止めた。

 それは、こんがらがっていない、一本の美しい線――
 夕焼けで鮮やかに染まる、大きく緩やかな水平線だった――

 その美しさに魅了された少年は、絡まった釣り糸の事は忘れて、両親の元へ走り出した。

 少年の後ろ姿を見送る彼の胸の中に、小さな『こんがらがった』が現れた。
 それは、最初にほどいたイヤホンのコードよりも単純なものであったが、ほどく事は出来なかった。
 現れたのは、彼の『こんがらがった心』であり、ほどいてしまえば、その下から『後悔』や『思い』が出て来る事が分かっていたからだ。

 彼は、少年に忘れられた釣り糸を拾うと、水平線に背中を向けて歩き出した。

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