小説

『自尊の果て』川瀬えいみ(『山月記』)

「李徴。草の種や木の実が手に入る季節は外で食べ物を探した方がいい。人間の食べ物に手を出すのは、草の種も木の実も手に入らなくなって、そうしなければ飢えて死ぬしかない時だけだ。人間の蔵は危険だ。罠が仕掛けられることもある。実際、それで命を落とした者が大勢いるから、あたしたちは、よほどのことがない限り、人間の蔵には忍び込まない。忍び込むにしても、必ず仲間と一緒だ」
 鼠のリーダー鈴麗は、仲間たちと共に、何度も李徴に忠告してきたのだが、李徴は膨らんだ腹を天に向け、鼠たちの臆病をせせら笑った。
 俺には才があるから、人間ごときには捕まらない。愚かな人間共は俺のために食糧を山積みにしてくれているのだ――そう豪語して。
 もし人間に捕まったら、どうなるか。それを想像することは、李徴には容易なことだった。自分が人間だった時、鼠という生き物をどう扱っていたかを思い出せばいいのだ。大切に蓄えておいた食べ物をかすめ取る鼠は、人間にとって、ゴミより質の悪い憎むべき害獣だった。
 李徴は怖かった。本当はとても怖かったのだが、高床倉庫より高い自尊心ゆえに、李徴は本心を鼠たちにさらけ出すことができなかったのである。己の自尊心を守るために、李徴は、人間の穀物蔵に忍び込むのをやめるわけにはいかなかった。
 そして、ある夜。
 銀麗たちが懸念していた通り、李徴は蔵に仕掛けられていた鼠捕りの罠に捕まってしまったのである。

 その罠は、人間の大人の男の足ほどの大きさの木板に鉄製のバネが取り付けられた、単純な造りの鼠捕りだった。普通に敏捷な鼠なら引っ掛かるはずもないのだが、李徴は栄養のある穀類ばかりを食べて肥満し、動きが鈍くなっていた。
 尻尾がバネと木板の間にがっちりと挟まって動けない。尻尾を噛み切れば逃げることはできそうだったが、鉄製のバネと木板に挟まっている箇所が尻尾の根元なので、ずんぐり太った李徴の歯も手もそこまで届かない。まさに絶体絶命の万事休す。
 今すぐに――それが無理なら、せめて朝になって人間が罠の確認のために蔵にやってくるまでに――体の肉が半分に減ってくれないものか。李徴はそんな無茶なことを願ってしまったのである。そんな願いを天が叶えてくれるはずもないのに。
 そんな願いは叶わない。それがわかっていることが、李徴の不幸だったかもしれない。完全に愚かではなく、現実を俯瞰し客観的に判断する能力を持ち合わせていることが。
 元は天下の大秀才。唐の国の歴史に残る大詩人になることを夢見ていた男が、鼠捕りの罠に捕まって、古ぼけた蔵の隅で死んでいくのだと思うと、惨めな自分が悲しくてならない。
 李徴は暫時、鼠に寄生するダニかノミになって、生き延びることを考えたのである。
 そうして、質の悪い病の素を国中にばら撒いて、自分の才を認めようとしなかった人間たちを一人残らず滅ぼしてしまおう。人間だけではない。虎も猫も鼠たちも、自分の才を認めなかった、この世界の命あるものすべてを滅ぼして、自分が世界にただ一つの命ある存在になる。自分はすべての命が死に絶えた世界の王になるのだ!
 李徴は、暗い蔵の片隅で、そんな夢を見た。

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