小説

『本懐』紫冬未秋(『雉も鳴かずば撃たれまい』)

 そうして、私は善い人になった気分で過ごしつつ、善い事を毎日続けていた。その分、私のノートに書く善い事も増えていった。その行いは、段々と一日での回数も増え、もっと困っている事とかないかなと探していくようになった。
 もちろん問題がそこら中に落ちはいないし、日常は劇的に変わることはなくて、退屈な宿題や授業を片付けながら、友達とうだうだするような日々だった。それでも変わることはある。クラスでいじめと言うほどではない、一人の生徒へのはぶりが始まった。そこまで仲良くはない人だったから、と少しの間は見過ごしていたけれど、困った問題が目のまえに転がってきて、チャンスだとも思った。
 自分の中での善い行いは、この子を助ける。
 ある日、私ははぶられている女の子に話しかけにいって、言われてしまった。
 剣呑とした苦しさと悲しさを込めた、自爆しそうな痛みを持って。
「—いい子ちゃんぶって、やめてよ」
 その一言。
 私は静かに、席に座った。心臓がバクバクと呼吸を苦しくして、頭はガァーンとハンマーで殴られた感じだ。
 身をもって知った。私がしていたことが自己満足になって、周りからもそうやって見られていたのだと。最初の意味を見紛って、なくした。
 善い事の書いたノートをにやにやと掲げて、善いものと勘違いしていたのだ。
 前に座る渡里ちゃんは、こちらを向く。
それに反応しつつも意識は半分以上うわの空。それでも渡里ちゃんは言う。
よく聞きなれた声で、雉も鳴かずば撃たれまい、だなんて。
 いつの日かの私が書いていた古文の一つ。
 娘を助けようとして、人柱にされた父親。
 手のひらが痛くなるほど拳を握る。
 知らなければ、善い人のままいれたのに、皮肉に、押しつぶされて。
 私はその言葉をきっかけに、善い行いを書いたノートを捨てた。
—要らないよ。
 その声は、どこまでも静かで深淵のようだった。

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