小説

『森の香りの人』小山ラム子(『檸檬』)

「やばい恥ずかしい!」
「いや、よかったですよ。えっと、何を閉じ込めておきたいんですっけ」
「やめて!」
 笑いながら歩を進めているとチューリップ畑が見えてきた。まだ芽がでたばかりで開花にはもう少し時間がかかりそうだ。
「なんで今日ここを選んだんですか」
「え?」
「もう少ししたほうが花も色々咲いてきれいなのに」
 チューリップが咲き、それから水仙が咲いて桜も開花すればこの公園は一気に華やかになる。それからも薔薇やらラベンダーやらと季節ごとに楽しませてくれるが、わたしは春の頃が一番好きである。黄色。ピンク。青。それこそ幸せな気持ちにさせてくれる。
「まあそこも深く考えてなかったなあ。偶々ここに来た人のブログ読んできて。あ、でも確かにあれも花がいっぱい咲いてる時期のときだったかも」
「そうでしょうね。その頃は人もたくさん来ますが、いつもなんてこんなもんです」
 土曜日の午後二時過ぎという時間だが、公園に来ているのはわたしとおねえさん以外に数組程度である。公園といっても遊具はないので、歩いているのもわたしと同様散歩を日課にしている人達だ。
「でもこのくらいもわたし好きだよ。もう少しで一斉に芽吹きはじめるのかなって気配がして。あ、じゃあこれ何が咲くか分かる?」
「それはチューリップですね」
「じゃああの木は?」
「桜です。あ、その奥は柿でした」
「そしたらこれは?」
「水仙」
「おー! すごい!」
「いやまあ近所ですからね」
 わたしはイヤホンを片耳にまだつけているのを思い出してそれも外してポケットにいれた。音楽は元々鳴らしていない。
「毎日来てるの?」
「そうですね。ほぼ毎日」
「へー。えらいね」
「えらいんですか?」
「学生だよね?」
「そうです。高校生」
「わたしは学校終わってからすぐ部屋でダラダラしてたから。健康的だねって思って」
「まあ、部活もやってないし」
「そっかあ。高校生活楽しい?」
「中学よりはマシです」
「あっ!」
 おねえさんは立ち止まって急にポケットからあの小瓶を取り出して香りをかいだ。
「え? 今?」
「うん! 今の言葉いいって思ったから」
「そんな良いこと言いましたっけ」
「ほら、中学よりはマシって」
「それ良い言葉ですか?」
「良い言葉だよーそっか、ちょっと先行けばマシになるかもしれないって思ったし」
 いつの間にかゆるい坂道を登り切って展望台についていた。昨日吹き荒れていた風は今日はおだやかで、おねえさんのスプリングコートの裾を軽やかにはためかせていた。
「わあ。きれい」
「そうですね」

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