小説

『犬を一匹』樋渡玖(『花咲か爺さん』)

 あの老夫婦もさすがに警察がきたからか、その後に異常な行動は見せませんでした。
 ほとんど外から出ず、家に引きこもっていました。時折買い物している姿は見ましたけど、町内の人間のほとんど口をきいてもらえない状態ですからね。居づらかったのでしょう。
 正直このままどこかに引っ越してくれないかと思っていました。町内におかしい人間が一人でもいると、子供を歩かせるのも怖いと噂していたのも聞いていましたし。

 そして今回の事件があったんです。
 やっとかって顔をしないでくださいよ。ここまでの経緯の話があってからの今回の事件なんです。私たちは出来るかぎりのことはしていたんです。
 毎年この季節になると、町内の人間で集まって地元の川沿いで花見をするのが恒例となっていました。食事やお酒は町内会費で賄って、総勢五十名くらいで集まる。勿論あの老夫婦もあの事件前は参加していましたけど、今年は声もかけませんでした。盛り下がってしまいますしね。
 先週の事件の日は、朝からとてもいい天気で桜も一面満開でした。私たちは持ち寄った食事やお酒を川沿いの芝生に広げて宴会をして、子供たちは川沿いを走り回っていました。午前十一時くらいから始めていましたので、二時間後くらいは全員お酒も回っていい気持ちになっていたと思います。川沿いの芝生に寝転がって昼寝をしていた人もいたくらいです。
 そんな緩やかな春の宴会の最中、あの老夫婦がきたんです。
 手に大量のビニール袋を持っていたので、この花見を聞きつけて食べ物でも持ってきたのかと思っていました。食べ物を持ってきたとしてもこの花見に参加させるつもりはなかったですけどね。
 様子がおかしいのにはすぐ気づきました。老夫婦はあの真っ黒い底なし沼のような目でニコニコした顔で、私たちを見ていました。凶器を持っている訳でもないのに、その姿に思わず背筋が寒くなるような恐怖を感じたのを覚えています。
 ぽかんとしていた私たちを前に老夫婦は言いました。
「枯れ木に花を咲かせましょう」
 そしてビニール袋に入っていた灰を私たち目掛けかけ始めたんです。
 真っ白い灰をいきなりかけられて視界が真っ白になりました。目に灰が入ってギリギリ痛みますし、口は灰でいっぱいで咳が止まりません。
 皆突然のことにパニックになってしまって、散り散りになって逃げだし始めました。
 そんな私たちを老人とは思えないスピードであの老夫婦が追ってくるんです。怒りに満ちた恐ろしい顔をして。
 返せ!と私も手を捕まれたんですが、慌てて突き飛ばして逃げましたよ。置いていた荷物も放り出して、駅前の交番に駆け込みました。
 あとは……警察の方がご存じでしょう。これが事件までの経緯です。
 灰をかけられたことで私はまだ目が痛いですよ。小さいお子さんなんて、トラウマになっているんじゃないですか。全く勘弁してほしいです。
 あの老夫婦は何でこんなことをしたんでしょうか? 私たちへの嫌がらせですか?
 全く犬を一匹ひいて死なせたくらいで、なんで私たちがこんな目に合わなきゃいけないんでしょうか。

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