小説

『年金生活のすすめ』千田義行(『パンドラの箱の物語~ギリシア神話より~』)

 私は、ここで素直に帰るべきだった。なぜこんな行動をしたのか、今でも謎だ。
 私は家から持ってきていた母のレシートを老人に手渡して「見覚えは、ありますか」と聞いた。老人はぎろりと私を上目に睨むと「菅原の息子か」と苦々しく言った。
「お前の事は、よく聞いてる。嫁ももらわず仕事も転々として、やくざな息子だってな」
 私ははっとした。「いえ、結構です」と意味不明な言葉を漏らして、電池を持って出口に向かった。その私の背中に老人はとどめの言葉を投げた。
「娘にもお前のことは、よく話している」
 つまらない嘘は、すべて明かされていたのだ。

※ ※ ※

 私の生活は、元に戻った。ぎしぎしと痛む関節をなるべく動かさず、一日中ベットで過ごす日も多い。風呂にはあまり入らず、薄い髪もひげも伸びるにまかせた。変わった事はひとつだけ、あの後すぐに引越して近くの狭い借家に移ったことくらいだ。
 桜の季節は終わりかけて、ばさばさと盛んに花びらを散らせていた。どこに行っても桜があるのには、うんざりさせられる。転居先のここでも窓から桜の木が見えた。
 年甲斐もなくはしゃいだ数日間を思い出すと、全身から汗が吹き出す。この歳になってあれほどの恥をかくのは、絶望以外の何物でもなかった。情けなくて、藤原にもあれ以来会っていない。
『ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ』
 引越しの際に、母のがらくたの中から同じノートが何冊も出てきた。手の平サイズのそのノートの1ページ目には、この歌が必ず書いてあった。『古今集巻第2春下84』あのレシートのメモにあったのはこれだった。
 おそらく母は桜を見る度にこの歌を思い出し、自分でも和歌を詠もうとするらしかった。私は全くこのノートに気付かなかったが、毎年10首ほど下手な和歌や俳句がノートに綴られていた。しかし桜が散るとともに記憶は薄れ、次の桜の季節まで思い出されることはなかったようだ。
 花が散る。このうら寂しい歌を毎年思い出し、母はなぜああも元気になったのだろう。それも、認知症の為せる技か。私はこれから桜が咲く度に、絶望的な記憶を呼び起こされて苦悶することになるのだろう。忌々しくて死にそうになる。
 その日、引越してから一度も鳴ったことのない呼び鈴に午睡を破られた。穴の空いたスエットを整えてドアを開けると、ジャンパー姿の彼女がいた。「なんで」と声を漏らしながらも、夢かと自分を疑った。
「菅原さん、忘れ物を届けにきました」
 彼女は、あの母のレシートを出した。「お母様の大切な思い出ですから」
「なんで」と私は二度、同じ言葉を漏らした。
「それに、私の父の思い出でもあるんです。お母様は桜の時期だけ父を思い出して、会いに来てくれたそうです。でも桜が散ると忘れてしまうから、去年、レシートの裏にメモを残して渡したそうです。桜が散っても忘れないように」
 彼女は手の平サイズのノートを出して、私に手渡した。開くと1ページ目に、あの歌が書いてあった。
「それとワイン、まだ教えてもらってないので」
「ワインの事なんて、本当はなにも知らないんです」
「いいんじゃないですか、いつから始めたって」
 外の桜の木は、盛んに花を散らせていた。
 玄関には母の笑顔のように、ローランサンの絵が華やかに微笑んでいた。

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