小説

『ヤッちゃんのわらしべ』十六夜博士(『わらしべ長者』)

「ヤッちゃん、猫のこと言ってなかった?」
「猫? 言ってなかったよ」
「ヤッちゃん、辞めさせられたんだよ!」
 えっ、とお母さんが目を丸くした。
 僕はニャン太のことを手短に、興奮しながら、お母さんに伝えた。
 ヤッちゃんは僕たちが怒られるかもしれないと気遣って、お母さんにニャン太のことを言わなかったんだ。そして、僕たちには心配をかけないように、辞めたこと、いや、辞めさせられたことを言わなかった。辞めさせられたから、本当のことをお母さんにも僕たちにも言えないんだ……。
 ヤッちゃんの優しい嘘――。
 胸が苦しくなった。
「そうなんだ……」
 僕の話を聞き終わると、お母さんは一つため息を吐いた。
「ヤッちゃんは損な性格ね。わらしべ貧者みたい」
 お母さんが変なことを言った。わらしべ長者はおとぎ話で知っているけど、わらしべ貧者は聞いたことがなかった。
「わらしべ貧者って?」
「ヤッちゃんは、優しいから、みんなが拾わないものを拾って、自分はその都度、損をしてしまうの。この前も、風船を離して泣いていた女の子を見て、木にかかった風船を取ろうとして……。結局、木から落ちて骨折。もう一度、スーパーで貰えばいいのに。子猫だって、そう」
 そう言えば、少し前、右手に包帯を巻いていた。その時は、転んでしまったんだとヤッちゃんは笑っていて、僕は、気をつけなよ、なんて偉そうなことを言ってしまっていた。
「このままだとアパートからも追い出されちゃう!」
 ニャン太のためにアパートの決まりを破っているヤッちゃんが急に心配になった。
「そうね。なんとかしないと」
 お母さんはそう言うと、アカネちゃんのお母さんに電話をかけた。

 翌日のヤッちゃんとの帰り道はいつもと違った。
 アカネちゃんもヤッちゃんに起こったことを知っていて、2人とも、元気にヤッちゃんと話をする気分になれなかった。
「今日は静かだね」
 ヤッちゃんがいつもと違う僕らに言った。
「……だって」
 少し間を置いて僕は喋り始めた。
「ヤッちゃん、アパートを追い出されるかもしれないし、仕事だってないんでしょ」
ハハッ、とヤッちゃんは笑い、「よく知ってるね。心配してくれて、ありがとう」と、他人事のように言った。
僕はのんびり構えているヤッちゃんに何故か腹が立って、「ヤッちゃん、ダメだよ! もっと自分のことを考えないと! わらしべ貧者になっちゃうよ!」と、ちょっと大きな声を出した。ヤッちゃんとアカネちゃんがビックリして足を止めた。
 なんだか泣きそうだったので、僕は2人を置き去りにして、家の方に駆け出した。2人から離れたら、胸のあたりが色々な気持ちでグチャグチャになって、いつしか泣いていた。
 ヤッちゃんのバカ。僕のバカ――。
 夕焼けが涙目のように赤かった。

「タッくん、アカネちゃん、おじさん来たよ」
「おじさんじゃなくて、ヤッちゃんだよ」

1 2 3 4 5