小説

『風よ、とまれ』吉岡幸一(『ドン・キホーテ』)

 海辺に接した崖の上に一基の風車が建っていた。風車は風力発電に利用される水平軸風車で、羽が地面に対して垂直にまわっているプロペラ型と呼ばれているものだった。
 上陸した台風の風をうけて羽は低くうなるような音をたてて回っている。昼間にもかかわらず黒い雲が空を覆っていたので夜のように暗く、崖の先にある海は崖を削り取るかのようにぶつかり荒い波をたてていた。波音は風の音で倍増されてまわりの空間を震えさせていたが、雨だけは降っていなかった。
 トキは風車を見上げていた。風車の高さは百メートル、羽の大きさは七十メートルくらいになるだろうか。下から見上げていると首が痛くなってくる。トキの横には幼なじみのテテがいる。風でめくれそうになるスカートを必死に手で押えている。
 互いにトキやテテと呼ぶようになったのは、トキはトキオだからそう呼ばれていたが、テテは本当の名は美枝といったが、幼稚園にあがる前から「テテをつないで……」つまり手を繋いで、とよくトキに甘えていたので自然とテテと呼ばれるようになっていた。
「はやく帰ろうよ」
 テテはトキの日に焼けた腕を引っ張っていた。
「なに言ってるんだ。来たばかりじゃないか」
「だって危ないよ。風に飛ばされて海に落ちてしまうかもしれないから」
「その風を止めるためにここに来たんだろう。なにもしないで帰るわけにはいかないよ」
「風を止めるなんて無理だよ。わたしらに止められるわけないじゃないの」
「やってみないとわからないだろう」
 トキは背負っていたリュックを地面に置くと、中からスプリングショットと呼ばれるY字型のパチンコを取りだした。
 石を拾うとパチンコのゴムに押しあてた。それを力一杯引いて風車の羽をめがけて打った。石は命中したが、ぶつけたところで風車はびくともしないし、風音でぶつかった音すら聞こえなかった。
「石なんてぶつけても意味ないじゃないの」
「こんなに風車が巨大だと思わなかったんだよ。町から見たら小さく見えたからな」
 トキとテテの暮らす町は風車から徒歩で一時間半の港町にあって、トキの家の窓からは崖の上にそびえ立つ風車が見えた。
 これまでは風車のことなど気にかけたこともなかった。気にかけるようになったのは、中学を卒業したあと高校に進むこともなく、一日中家の窓からぼんやりと崖の上にたつ風車を見ることが多くなってからのことだ。
 高校に進学しなかった理由は、漁師をしていた父が海でなくなってから魚の缶詰工場で働く母の収入だけで生活をしなければならなくなったので、トキは学費のかかる進学ではなく就職をしようと思ったからだった。
 当然、母はひとり息子のトキを進学させようとしたが、父に似て頑固なトキは首をたてにふることはなかった。
 中学を卒業して半年、コンビニのアルバイトや母と同じ缶詰工場で働いたが長続きがすることがなかった。すぐに嫌になって仕事をやめてしまった。
 この頃では仕事を探すこともやめて一日中家で父が残した小説を読んで過ごすようになっていた。父は無類の読書好きで家には本が大量にあった。トキはその父の残した本の中からスペインの作家、ミゲル・デ・セルバンテスが書いた「ドン・キホーテ」を読んで夢中になっていた。

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