小説

『草の窓』柿沼雅美(『草の中』)

 僕が呟くと、Kはどうした? と聞いてくれた。
 「こういう草の中でユウちゃんを抱いてやったことがあるんだ」
 Kは黙っていた。
 「それにちょうど月のこんな夜だ!」
 僕は頭を抱えてそのときの草の匂いを嗅ぎつけるように雑草の中へ倒れこんだ。僕の乱れた感情が伝わったのか、Kは地面をグーで叩いた。
 Kみたいな友達がいてくれたら大丈夫かもしれない、と思いはじめたところで、右端のユウちゃんの部屋のカーテンがスッと閉じた。

 
 もう僕は生きていける気がしない、という連絡をもらった時、見に行かねばと思った。
 30歳を超えて初めて出来た彼女がユウちゃんという子で、どうやら最近別れたらしい、というのが学生時代の友達の間で噂になっていた。
 彼をすごい、と思ったのは高2の時だった。色白で細身でメガネをかけていて、ヲタクだとずっと言われていたけれど、社会人になるとその見た目がIT系のできるヤツに見えた。
 すごいということに気づいたのは俺だけだったんじゃないだろうか。好きなアニメのキャラクターの番組やCDを聴いたり、アニメイトでのイベントにも足繫く通っていた。そしてそのキャラクターを自分で描いては、自分だけのグッズを作って楽しんでいた。通学カバンについていたキーホルダーやハンカチにプリントされたものは市販のものではなく、自分で考え、描き、作ったものだと言っていた。まだスマホもない時代に、いつか3Dで自分でフィギュアを作れる時がくるよ、と言い切っていた。
 心配だからひさしぶりに顔見に行く、と連絡をしてみたら、なぜか実家とは離れた公園を指定された。
 住宅街だからか子供連れが多い。まだ子供はいないが、まだ新婚の俺に子供ができたら、こんなふうに滑り台の下で子供が降りてくるのを両手を広げて待ったりするのかもしれない。イメージがリアルに沸いてきて、目の前の光景がほほえましくてしかたない。
 砂場の向こうに、細身の男が立っていて、すぐに彼だと分かった。ボディバッグを斜めにかけて、腰に両手をあてて突っ立っている。怪しく見えないのは、雰囲気が爽やかで存在感が薄めだからだと分かる。
 トン、とバッグを叩くと、彼は、おお、と振り返った。もうメガネはしておらず、ヲタクの感じもなく、比較的自由な社風に勤めるエンジニアといった風だった。
 ひさしぶり、と言うも、その表情は冴えなくて、そうだった彼は彼女と別れたばかりだったんだと思い出した。
 落ち込んでいながらも優しい雰囲気が残っているのは、ユウちゃんという彼女がとても良い彼女だったからだろうという気がした。
 「紹介してくれたらよかったのに」
 共通の友人でもいたら別れる前に相談に乗れたんじゃないか、と安易なことを考えてしまう。そんな俺に彼は、小さく笑って、もう彼女には別の彼氏がいるような返事をした。フラれたのがはっきりと分かって、俺は少し申し訳なくて、足元の落ち葉を踏んだ。
 「ちょっと連れていきたいところがあるんだ」
 そう言う彼に、もちろん、と返事をしてあとをついて行った。

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