小説

『満開の花が咲き誇る日を』ウダ・タマキ(『オオカミ少年』)

 ナースステーションに声をかけ、知人と称して病室へと急いだ。ネームプレートを確認し、ゆっくりとカーテンを開ける。おじいさんが点滴を受けるベッドの傍には、丸椅子に腰掛ける男性の後ろ姿があった。
「あのぉ・・・・・・」
 振り返った男性がおじいさんの息子だということはすぐに分かった。それくらい、目元がよく似ていた。
「すみません、こんにちは・・・・・・」
「どうも、長男の武志です」
「えっ、もしかして、ニューヨークから?」
 男性は、プッと吹き出して「ええ、直行便で隣町から三十分かけて」と言った。そして「また、親父がそんなことを?」と続けた。

 やっぱりか・・・・・・

 これまで、僕の聞いた話は全て嘘だった。今の一言が全てを表していた。
「親父が言ってました。最近、毎日、悩める若者に人生について教えてあげてるんだって」
「きっと、僕です、その悩める若者って」
「知ってますよ。こっそり田中商店の前にいるところを覗きに行ったことがあってね」
「そうだったんですか」
「あまりに親父が楽しそうだったから、つい何も言わず。申し訳ない」
「いえ、僕は・・・・・・いろんなお話が楽しかったから」
 武志さんはおじいさんの方にゆっくりと視線を移した。
「認知症なんですよ、親父。認知症って複雑でね。親父の場合はどうにか一人暮らしはできるんですが、おかしな話ばかりして」
「認知症、ですか・・・・・・」
「ええ。十年前にお袋が亡くなった途端、急にあることないこと、いろんな話をするようになってね。よっぽどショックだったんでしょう」
 おじいさんは眠っていた。ぽとりぽとり、と、ゆっくり落ちる無色透明の液体が管を通り、左腕に刺さった針から体内に吸い込まれてゆく。細く、よく焼けた茶色い腕だった。
「辛い人生を歩んできたんですよ、親父は」
「辛い人生、ですか?」
「本当は世界を飛び回るような仕事がしたかったって。好奇心旺盛な人でしたから、こんな小さな街は出たかったんでしょう。けど、両親に反対されたみたいで。結局、豆腐屋を継いだんです」
「おじいさん、海外に行ったことはあるんですか?」
 武志さんは黙ったまま首を振った。
「憧れがあったから海外の本や風景写真なんか、よく読んでいました。だから、詳しかったんじゃないかな」
 ショックよりも驚きの方が勝っていた。あれほど流暢に真実ではないストーリーが、まるで実体験のように語られていたのだから。おじいさんの話を聞き、僕は時にニューヨークのマンハッタン、時にエジプトのピラミッドを望む砂漠にさえ降り立つことができた。しかし、その全ては真実ではなかった。

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