小説

『未来を映す鏡』三坂輝(『よくばりな犬』)

 深夜2時22分の鏡には、未来の自分が映るという。
 小学生の頃に聞いた都市伝説なんだけれど、それが本当なら34歳のいま、見てみたい。
 1駅先にあるカレー屋での遅番シフトがほぼ毎日。カギ閉めもわたしの担当だ。アルバイトに店のカギ閉めを任せるなよと思うけれど、店長からは「カナエちゃんを信頼してるから」と言われている。ありがたくない。
 店長、いつ手を出してくるんだろ。少しずつ身内扱いしていくことで、身体をからめとろうとしていることが不快だけれど、いっそこの身を引き取ってほしいとすら思う、独り身の深夜2時。

「あー」
 一人暮らし1Kの部屋に、自分の声が響く。いつもより、声が低い。
 今日は、デザイン会社のコウヘイさんからの、2年ぶりの撮影依頼だった。
 現場は代々木にある会社だった。撮影相手は、社長さん。選挙に出る政治家みたいに派手なネクタイをしていたのは、やっぱり撮られることを意識したのだろう。たしかにおじさんだったし、前髪から蛍光灯の光が透けて見えたけれど、顔はわるくなかった。カレー屋の店長よりもいい。大丈夫、どんな相手でもちゃんと撮りますよ、と思った。
 なのにな。
 わたしを見た社長さんの「ああ、いつもの方じゃないんだ。新しいカメラマンさんですね」との一言に、コウヘイさんが「今日はヘルプでお願いしていまして」と弁解していた。
 顧客向けの定期発行資料と聞いていたし、バカなわたしだって、その仕事が2年ごとでないことくらいわかっていましたよ。わかっていましたとも。
 ファインダーをのぞくと緊張している社長さん。
「カナエちゃん、笑顔の写真、ちゃんとおさえておいてね」とコウヘイさんが耳打ちしてきた。
 時間が経てば向こうもリラックスしてくるだろうと、そのまま撮っていると、黄色い声がした。
「社長、ネクタイは奥様がお選びになったんですか?」
 広報担当だろうか。社員らしき女の子だ。26歳くらいかな。アイドルって、こんくらい笑顔が貼り付いているんだろうなと思うほど、ずっと笑顔のまんま。大きな瞳に、大きな口で、えくぼもばっちり。動きのない顔だけれど、そのワンパターンな笑顔ならカメラに収めやすいだろう。ワンパターンでも、嫌われない笑顔。
「違うよ。自分で選んだんだよ」
「へえ、似合ってるじゃないですか」
 社長さんが、ゆるんだ。

 
 現場を終えて、そのままカレー屋に出勤して、帰宅。シャワーを浴びて、夜食をとって、いまに至る。
 何もない夜。いつもの眠れない夜。

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