小説

『枯れ木に花を』ウダ・タマキ(『花咲かじいさん』)

 咄嗟に出た言葉は、我ながら無責任な一言だったと思う。しかし、私にはその言葉しか見つからなかった。
 結局、恵美子が桜を見ることは叶わなかった。恵美子が逝って一年が経つ。あの日も、今日のような快晴だった。なんとも無慈悲な、雲一つない空が広がる素晴らしい天気だった。

 仏壇の鈴が静寂に響く。写真の恵美子は今日も笑っている。
 鈴の音が、なおも空気を僅かに震わせながら漂っている。その時、外からトニーのものとは明らかに違う犬の鳴き声が聞こえた。それは太く、力強い鳴き声だった。
 慌てて庭へ出ると、タロがオウオウと勇ましい鳴き声を上げ、満開に咲く桜の木の下を必死に掘っていた。その様子は、とても若々しく力が漲っていた。 
 その傍らには恵美子の姿があった。雄々しいタロの姿に、目を輝かせながら佇む恵美子の姿が。
「恵美子・・・・・・どないしたんや・・・・・・」
「あなた、タロったらすごいのよ。何を探してるんやろ」
「いや、そうやなくて、お前、ここ・・・・・・」
「なんで、そんなに目を丸くしてるんよ。おかしな人やね」
 恵美子はいつものように、ふふふっと上品に笑った。いつものように、右手で口を覆って、笑った。それは彼女の癖だった。私は何も言えず、何もできずに立ち尽くしている。そうしている間に、恵美子の笑い声は少しずつ遠くなり、恵美子とタロの姿が薄れ始めた。まるで私一人を置き去りにするように、世界と彼女達の身体を隔てる境界線は曖昧になり、やがて、ぼんやりと消えていった。
 目の前には、ゆらりゆらりと電気の紐がぶら下がっていた。夢なのか酔いすぎて幻覚を見ていたのかさえ分からない。いよいよアルコール依存症だ。どうしようもない。割れそうに痛む頭のくせに、冷静にそう思えた。
 そんな私のことを枕元からタロが見下ろしていた。ずっと、私が目覚めるのを待ち侘びていたような顔をしている。
 タロは私の服の袖を甘く噛むと、こっちへ来いと言わんばかりにグイッと引っ張った。「どうした?」と、私は立ち上がり、タロの後に続いた。タロはゆっくりと廊下を歩くと、玄関の上がり框を片足ずつ慎重に降り、そして、器用に引き戸を開けて庭に出た。全身を左右に揺らしながらぎこちなく歩き、辿り着いたのは桜の木の下だった。さっきの夢のようだが、あの力強い鳴き声は、くぅぅと絞り出される呻きに変わり、満開だった桜は枯れている。病に伏す恵美子に見せたくて植えた桜は、素人には手に負えず、咲かぬままに枯れ果てた。
「ここ、掘れってか? お前もここ掘れワンワンか?」
 タロは地面に腹をつけ、舌を出して荒い息をした。早く掘れ、と訴えられている気がした。
「ちょっと、待ってろ」
 私は小屋からシャベルを取り出すと、タロが見つめる地面を掘り始めた。乾いた土埃が舞い、むせ込んだ。土埃だけではなく、日頃の運動不足と煙草が祟っているように感じる。

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