小説

『梅の花の絵』中杉誠志(『梅若七兵衛』)

 そうこうしているうちに一年が経ち、貯金が六十万ほど貯まったある日、ふと例の絵のことを思い出した。
 おれがいま、こんなに優雅な生活を送ることができてるのは、もとを辿ればあの絵のおかげだ。あの絵が五十四万で売れなきゃ、おれは借金を返すこともあきらめて自殺してただろう。いまのおれは到底自殺なんかする気にはならない。ギャンブルも風俗もやめて、教養深い文化人になりつつある。なんたって愛読してるのは太宰治や坂口安吾だ。そして、そんな枯淡な生活が、結構気に入ってる。全部あの絵のおかげだ。買い戻そう。
 そう思って、一年ぶりに質屋を訪ねてみた。ゴミ収集のバイトで貯めたきれいな金を持って。
 が、肝心の絵がない。もう流れちまってる。それまで質屋なんて品物と引き替えに金を受けとるためのものとしか認識してなかったから、預けた品物が流れてしまうってことがあるってのをすっかり忘れてた。おれはなにかとんでもないものをなくしちまったような気になって、失意のまま家に帰った。家というのは伯父さんの家だ。おれはもう、この家で暮らす資格がないような気がする。恩ある絵の一枚すら買い戻せなくて、なんで生きていられよう。死のう。
 しかし、貯金が六十万もあるのにそれをただ残して死ぬのはもったいない。かといって、相続するのは両親だ。子供の金を親が相続するなんてバカげてる。おれはみっちゃんに連絡した。みっちゃんはおれのあこがれの人だ。おれが遺産を残したい相手は、みっちゃんくらいしかいない。みっちゃんになら、殺されてもいいくらいだ。
 おれはみっちゃんを家に呼んで、一から十まで包み隠さず全部話した。形見分けの絵を売っちまったこと。その金で借金を返したこと。デリヘルを呼んだことは、いわなくてもいいと思っていわなかった。全部じゃないな。おおかただ。一から九まで。でも、それだけの話でも、するのには勇気が要った。おれは話しながら泣いていた。自分が情けなくて。
 みっちゃんは、黙って聞いてくれていた。最後まで、茶々をいれずに、怒りもせずに。
 話の終わりに、おれは茶封筒に入れた六十万の札束を、すっと畳の上に滑らせて、みっちゃんの膝の近くに置いた。タイトスカートを穿いたみっちゃんの、シークレットゾーンを覗きたい気持ちになったが、それはもちろん、シリアスな場面だから、ぐっとこらえた。
「なにこれ」
 みっちゃんは封筒を取り上げて、首をかしげた。
「六十万。絵のお金。おれは、その金は、伯父さんから借りたもんだと思ってる。ほんとは伯父さんに返さないといけない金だけど、返せないから、みっちゃんに返す」
 すると、みっちゃんは、
「そっか。ありがと」
 と、思いのほか躊躇なくそれを受けとって自分のかたわらに置いたポーチのなかに入れた。あまりにも話が簡単すぎると思っていると、
「実はね」
 と今度はみっちゃんが語り出した。
「七ちゃんが借金してるって話、お父さん知ってたの。でも、『あいつは身内に金の無心ができるような男じゃないから、少額でも返せないとなったら首くくっちまうだろう』っていって。『おれが死んだら、あの梅の花の絵をやってくれ』って。『そうしたら、それを売ってなんとか生き延びるだろうから』って」
 みっちゃんは白い歯を見せて笑ったが、おれはそれを聞いて愕然とした。
「なんでそんな、伯父さん、おれのために」

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