小説

『梅の花の絵』中杉誠志(『梅若七兵衛』)

 広島生まれのおれは、就職先も決まらないまま大学を出ると何も考えずに上京して、五年ほど事務系職の派遣社員として働いていたんだが、法制度にしたがって正社員に格上げされる寸前で契約を切られ、人生なんてクソだと思った。裏スロやカジノでこさえた借金は多少残っているが人生というか日本の社会制度に絶望していたしまあいいや借金なんざほっといて自殺しようと思っていた矢先に、広島の伯父が死んだという連絡が入った。さすがに身内の死が続くと親類が困惑するだろうからと、自殺を一旦あきらめて葬式に出るため、おれはスーツを着込んで夜行バスに乗り、実家に帰ってきた。
 広島の夏は暑い。駅から実家まで徒歩三十分。タクシーやバスに乗るのをケチって歩くおれが悪いんだが、借金まみれのおれに無駄金を使う余裕なんかない。実家についたときには汗だく。替えのスーツは持ってきてない。バカみたい。
「伯父さんも、もっと涼しい季節に死んでくれりゃよかったのになぁ……」
 そんなふうに悪態をつきつつも、おれは昔からこの伯父さんという人が好きだった。骨董美術に目がなくて、目がないどころか審美眼もないから、骨董屋や美術商が勧めるものを勧められるままに買いあさって、家に置き場がないからと嫁さんに叱られたあげく勝手に処分され、それが原因でケンカになって離婚して、実家近くの一軒家で大好きな骨董品美術品に囲まれて孤独死。素晴らしい最期だ。見習いたい。
 元嫁さんも葬式に出てたが、もう他人だ。親戚一同はいちおう彼女のことも身内として接しているが、法的にはなんの関係もない。伯父さんのひとり娘、おれのいとこのみっちゃんには、まだ血の繋がりという関係がある。内緒の話だが、おれのファーストキスの相手はこのみっちゃんだ。小学校の頃、よくお互いの家を行き来していて、一緒に風呂に入ったりもした。その風呂の中で、たしかみっちゃんからキスしてきたんだとおれは記憶しているが、後年みっちゃんに聞いてもそんなことしてないといっていた。淡い夢だが、じゃあおれのファーストキスはいったい誰なんだ? 東京で初めて行ったキャバクラのキャバ嬢か? まさかだろう。みっちゃんがファーストキスの相手だと思ったから、たいして美人でもないが化粧の腕前でなんとなく美人に見せている、東京にはよくいるタイプの商売女と、酔った勢いでキスしたのに。
 ともあれ、そのみっちゃんが、葬式のあとおれに近寄ってきて、形見分けしてくれるという。
「この絵、七ちゃんが持ってなよ」
 その絵というのは、伯父さんのコレクションのひとつだった。えらくでかい絵で、何号とかいう絵画の規格は知らないが、横一メートル強、縦七十センチくらいの、家に置いといたら確実に邪魔になるし、邪魔にしかならない代物だった。日本画の平坦なタッチで梅の花が描かれてて、まあ、風流といえば風流なんだろうが、それだけの絵だ。枝にはうぐいすもいるが、梅の蕾と見間違えるほど小さい。
「ありがと。大事にする」
 みっちゃんにいわれたからってだけで、おれは絵の価値も価格もわからないままふたつ返事でもらい受けたが、さて置く場所がない。実家に置いといてもしょうがないし、東京の賃貸アパートに置くスペースなんかない。その部屋は、おれが入る前は六畳間だったらしいが、おれが住み始めてから居住スペースは二畳程度しかない。立って半畳寝て一畳。残り一畳が絵に占拠されちゃ、寝返りだって気楽に打てやしない。

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