小説

『俺と彼女の最後の日』中村ゆい(『人魚姫』)

 人間は、泡にはならない。生き続けるか、苦しんで死ぬかだ。稀に眠るように亡くなる人もいるらしいけど、俺は運も徳もないからそんな死に方はしないだろう。
 どちらにしても、魂の抜けた体が残る。
「消えるって、よくわかんねえ。怖くないのかよ」
 自分にしか聞こえない声でつぶやいたつもりだったのに、彼女が振り向く。
「ごめん」
 聞かせるつもりじゃなかった。彼女は微笑みながら、スマホの画面を俺に見せた。
『怖くはないけど、虚しい』
「……」
『先輩たちみたいに、死にたい。でも死ぬのは怖い』
「……あのさ、夜明けまで一緒にいていい?」
 泡になる、そのときまで。本当は佐藤のほうが嬉しいだろうけど、あいつはこの子のことなんかちっとも気にしていない。たぶん今日が最後だってことも知らないだろう。
 彼女が首を縦に振って俺の手を取る。それだけのことで安心してしまう。
 結局のところ、彼女にいなくなってほしくないのは俺のエゴだ。届くわけがない俺のわがままだ。
 夜になっても空は綺麗で星が瞬いている。海は、波もなくて静かだけれど、黒い海面は少し不気味。それでもきらきらと星のかけらが浮かぶように反射している。
 ふたり並んで三角座りをしたまましばらく無言で夜空を眺めていたけれど、首が痛くなってきたから大の字になって仰向けに寝転んでみた。
 ざらざらした砂が頭や制服を着た背中にまとわりつく。あ、空めっちゃ綺麗。天然のプラネタリウムだ。
 俺を一瞥した彼女が真似をして隣に寝転ぶ。いつもと違う角度から目が合うと、彼女は知っているのに知らない女の子のように見えた。胸の奥が切なく痛む。
「結ばれるってさあ、何」
 ずっと疑問に思っていたことが口から飛び出す。
「結婚? セックスすること? 両想いになること?」
 わからない、というように彼女の瞳が揺れる。
「俺だったら、一生大事にすんのになあ。お前のこと」
 どうせ最後だと思うと、黙っていたことも全部吐き出せる気がした。
「好きだよ」
 お前が俺のこと好きじゃないのなんか、当然知ってるけど。
 だからそんな、泣きそうな顔をしないでほしい。何かを訴えるような目で見つめられると、悲しくなる。わかってるよ。ごめんって言いたいんだろ。
 目を閉じると、風や波の音がささやかに響いた。ふいに、左手に柔らかな肌の感触がして、彼女が俺の手を握ったのだとわかる。
 このまま眠ってしまえたらいい。そして目覚めたときにはもう朝で、俺が気づかないうちに彼女がいなくなっていれば、いいのにな。

 
 願い通り、暑さで目が覚めると朝陽が俺を空の上からじりじりと焼いていた。
 彼女はいなくなっていた。

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