小説

『娘の家』吉岡幸一(『リア王』)

 空き地の両隣は見知った家がいまでもそのままに建っています。二階のベランダには洗濯物が干され、犬の鳴き声が家の中から小さく聞こえてきます。空き地は草が伸び放題になっています。売却予定地と書かれた看板が立てかけられています。
 半年前までは剛志の家が建っていました。食品販売の事業をしていた友人に頭をさげられ連帯保証人になってしまったのが家を失った原因でした。友人は夜逃げをして行方知れずになっています。友人の借金を返すためには家を手放すしか方法がなかったのです。家を失うと同時に妻も失ってしまったのでした。
 妻は亡くなるすこし前に「あなたとの思い出がつまった家がなくなってしまったけど、気にしないでいいのよ。あなたは悪いことをしたわけではないのだから。むしろお友達を助けるためだったんだから」と言われました。剛志は申し訳なくて、情けなくて堪りませんでした。妻は安心して死ねなかった。心配させたまま死なせてしまった。剛志は亡くなってからずっと心のなかで謝り続けていました。
 空き地を眺めているとさまざまな思い出が甦ってきました。三人の娘たちもこの家で育ちました。この家から幼稚園や小学校や中学校に通い、この家から就職をして出ていったり、嫁にいったりしました。楽しい思い出も悲しい思いでも詰まった家でした。娘たちの実家を奪ってしまった。帰ってこれる家をなくしてしまった。思い出を奪ってしまった。三人の娘から批難されたわけではありません。娘たちは一度として情けない父親を批難しませんでした。家を手放すときも「仕方がないわね」という程度で責めることもありませんでした。
 責めてくれたらどんなに楽だったでしょう。責められないことで剛志は自分で自分を責め続けるしかありませんでした。
 空き地に墓があるわけではありませんが、郷田は空き地に向かって手を合わせました。いまもこの場所に妻の魂がいるような気がしてならなかったからです。
「優子も旦那の和也くんも孫の裕介もとても良くしてくれるんだけど、なんだか居場所がなくってな。いつまでたってもお客さん扱いなんだよ。あっちにいても落ち着かないんだよな。はやくおまえのところにいきたいよ」
 剛志はつぶやきながら手を合わせました。汗がシャツの中から滴り落ちてきます。ジーンズも汗でべっとりと脚にへばりついてきます。空に雲はなくギラギラした青空だけが広がっています。空き地の前なので日陰はありません。咽は渇くし、目眩がしてきました。
「いつまでも自分を責めたらだめですよ」
 いつの間にか亡くなった妻が目の前に立っていました。
「おまえ、まだ昼間だぞ。幽霊は夜中に出てくるものじゃないのか」
 剛志は驚きのあまり変なことを言っていることに気づいていませんでした。
「夜中に出てもあなたは寝ているでしょう。だからこうやって昼間にでてきたのよ」
「お迎えに着てくれたのか。ありがとう。はやくそっちに行きたいと思っていたんだ」

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