小説

『三十年の時を越えて』ウダ・タマキ(『浦島太郎』)

「よし、じゃあ乗って!」
 曇っていた亀ちゃんの表情が一瞬にして晴れた。
 僅か五分の船旅だったが、それはとても心地良かった。カモメが船と併走し、遠くの方ではイルカが跳ねた。いつもの町のいつもの海なのに、まるで異国にでも向かう船旅のようで僕の胸は高鳴っていた。
 渡船から飛び降りた亀ちゃんは、僕を振り返ると両手を広げて「呪いの島へようこそ」と戯けて見せた。それは亀ちゃんにとって、とても勇気のいる行動だったに違いない。きっと、亀ちゃんがいじめられていた理由の一つには、この島に生まれ育ったルーツも含まれていただろうから。
 白い砂浜に、深い緑に覆われた山。初めて降り立った竜の宮島は、呪いなど微塵のかけらも感じさせない美しい島だった。
 船着場からは山の傾斜にへばりつくようにして家々が建ち並ぶのが見えた。人一人がやっと通れるような急勾配の細い路地の両側には、古い木造の民家が建ち並び趣があった。亀ちゃんの家はその一番高台に位置していた。
 ブロック塀に囲われた平家には小さな庭があり、潮風にさらされた木の外壁は色褪せてはいたが、何とも言えない風格があった。ペンキで塗り直された玄関のドアだけが、周囲に浮くような鮮やかな赤い色をしていた。庭には水鉄砲や象の形をしたジョウロが転がり、小さな子どもがいることが想像できた。
「ただいま!」
 すぐに「おかえり!」と元気な声がいくつも返る。そして、賑やかな足音が勢いよく近付いて来るのだった。
「今日はお客さんが来てるからお利口にするんだよ」
 亀ちゃんには年の離れた幼いきょうだいがいた。六歳の弟、四歳の妹、三歳の弟。みんな人懐っこく、すぐに遊ぶよう僕にせがんだ。
 僕は一人っ子だった。両親は共働きで、帰りが遅かったので小さな頃から鍵っ子だった。だから亀ちゃんの家庭が羨ましかった。
 しかし、一見すると明るく見える家庭はそれが全てではなかった。亀ちゃんの父親は二年前に三十八歳で癌に侵されこの世を去ったそうだ。母親は女手一つで四人の子ども達を育てるため、朝早くから夜遅くまで水産加工の仕事に出ていた。普段は近所の祖父母が面倒を見ていたが、休みの日は長男の亀ちゃんが子守りをしていたのだ。
 亀ちゃんは学校で会う時とは別人のようで、その日は手際良く魚を捌くと手巻き寿司を振る舞ってくれた。相変わらず一人で味気ない食事を摂ることが多かった僕にとって、新鮮な魚の美味しさと家族の温もりに触れた一日だった。
 それからも僕は何度も亀ちゃんの家に遊びに行った。休みの前日には泊まることもあった。

「僕、県外の高校に行くつもりなんだ。料理を学ぶには桜花高校がいいって母さんが」

 三年生の夏、亀ちゃんが進路についてそう言った。

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