小説

『彼の猫』斉藤高谷(『山月記』)

「電気、停まってるの?」
「その可能性はあるナ。しばらく払ってないからナ」
 嫌な予感がした。
「お金、ないの? 仕事上手くいってないの?」
「金は困らない程度にはあるナ。けど仕事は……ウ~ム」
 グルグルと、どうやったらそんな音が出せるのだろうという音を彼は出す。
「さっきから気になってたんだけど、話し方、少し変だよ?」
「たぶん、猫になったせいだナ」

「あの子、猫飼いだしたのよ」と母は言っていた。
「たぶん、猫になったせいだナ」とトモミツ君は言った。
 わたしが知っている日本語が正しいとするならば、これらは同じことを意味する言葉ではない。そして前者は現実的に考えてあり得そうな話だが、後者はとんでもなく突拍子もない発言である。耳を疑い、彼の正気を疑わざるを得ないほどの。
「あは」何と言ったらいいかわからず、とりあえず笑っておくことにした。社会に出て身につけた、数少ないスキルの一つ。「あはははははは」
「信じてないナ。まあ、無理もないけどナ」
「トモミツ君がそんな冗談言うなんて意外」
「冗談じゃないナ」
「語尾は〈ニャ〉じゃニャいの?」意地悪を言ってみる。
「喉の造り的に〈ナ〉の方が自然なんだナ。今からちょっと長めに鳴いてみせるナ」
 彼が言うなり、暗闇の中からねっとりとした猫の鳴き声が聞こえてきた。あまりにリアルだったので、わたしは「おおー」と歓声を漏らしながら拍手した。
「すごい。そういう名人になれるんじゃない?」
「だからもう人じゃないナ」
「だったら喋ってるところ見せてほしいんだけど。猫の姿で喋ってたら、すぐに信用できると思う」
「それはできない」トモミツ君は言った。「というより、したくない」
「何で? 恥ずかしい?」
「猫という生き物の姿が恥ずかしいんじゃない。中途半端に人間の部分が残っている状態で君の記憶に残るのがイヤなんだナ」
 たしかに、もし本当に彼が猫になっていたとすれば、一生忘れられない出来事になるだろう。
「それなら、さっきわたしがスマホ出した時から猫のフリしておけばよかったのに」
「耳の裏を掻くのに夢中になってたら、君が急に現れたから驚いたんだナ。丁度、君のことを考えていたから」
「えっ……」トクン、というオノマトペが、少し前の少女漫画だったら付くところだろうか。少なくとも、わたしの脳内ではそういう一コマができた。「それって……」

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