小説

『ひびわれたゆび』高野由宇(『炭坑節(福岡県民謡)』)

 二十時ちょい過ぎに終わってセンターに端末を戻しに行くとボスが居て、久し振りに顔を見て話す。相変わらず愉快で下品で声がデカくて、二人でゲラゲラ笑ってるとライ君も戻って来た。無事今日の分を配り終えたからさっきよりは元気になってる。少なくとも微笑む気力を取り戻してる。
 事故起こした久保田さんのこととか明日からのこととか、缶コーヒーを飲みながら、あっという間に過ぎて行った今日の端っこで話す。
「んじゃあそんな感じで、明日も頑張りましょう」
 一歩行けば、もう明日だ。
 牛丼と豚汁を食って、安い駐車場に車を停めて、自転車に跨って、そしたら月がまん丸だった。
 自転車を降りる。
 コンビニで買ったビールを飲みながら、あと半歩行けば終わる今夜の月を眺める。
 必ず終わるんだよな、こうやって。だから明日も、やってこうって思えるんだろうな。だからつまり、あと三か月もすれば温かくなるって知ってるから、明日の寒い朝に絶望しないで起きれるってのと、だいたい同じだな、たぶん。
 まあるい月に雲が優しい。
 風のない静かな夜は、月とビールのせいにして、声が聴きたくなる。
 出てくれないかもしれないし、出てくれても怒られるかもしれないし、イチかバチかの勝負だ、と願を掛けて通話ボタンを押す。
「――もしもし」
 機嫌は悪くはなさそうだ。損ねないように細心の注意を払って挨拶する。
「何どうしたの?」
「元気かなと思って」
「飲んでんの?」
「――はい」
「好きだね、帰り道に歩きながら飲むの」
 二回付き合って二回振られて三回目の告白を断られた時に、もうあんまり電話とかしないでと言われた。それでも月に二回ぐらい、どうしようもなく繋がりたくなる時がある。
「気持ちいんだよ、外で飲むの」
「家帰ってシャワー浴びてから飲めばいいのに」
「家帰ってシャワー浴びたら寝ちゃうもん」
「まあ聡がどう飲もうがどうでもいいんだけど」
「そんな冷たいこと言うなよー」
 こういう突き放したことを言う時の方がミイは機嫌が良いし、長く話してくれる時が多い。俺からの電話が不快だったり機嫌が悪い時は話が長引くようなことは言わない。「うん」か「あっそ」か「じゃ」しか言わない。
 優しさなのかもしれない。それがミイなりの。俺が変に期待しないように。
 優しいって難しい。昔怒られたことがある。なんでも受け入れて我儘も許してっていうのが優しさだって思ってんのかもしんないけどマジでそれ違うからね、聡のはただの恐怖だからね、私が居なくなるのが怖いだけのただの恐怖心だからね。

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