小説

『ワタシとソラと』藤元裕貴(『わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ)

ソラが泣いている。
ソラの泣き声が耳に触れ、私の頭の何処かで警鐘が鳴る。

子どもの感情は、思考という導火線のない爆弾のようなものだ。気付いた時には発火して、爆発を繰り返す。妹のコトリが突然泣き出したソラを見て、慌ててあやしているが、一向に泣き止む気配はない。私は部屋を片付けながら、2人のやりとりをしばらく見ていた。
母親になってから気付いたことだが、人は泣き声に敏感だ。泣き声を長時間聞き続けることは、拷問に近いように思う。ソラが産まれて最初に悩まされたのも泣き声だった。逃げ場のない空間で、毎日毎日泣き声を聞き続けていると、神経を粗いヤスリで撫でられるような感覚に捉われる。そんな日々が続いたある日、防衛本能なのかソラの泣き声に反応して、私の中で警戒音が鳴り響くようになった。このままだと精神が擦り切れちゃうよ、と自分自身に警告されているようで、その警鐘は、私を正常に保つ為のボーダーラインとなっていった。
コトリの慌てようは、そんな子育てを始めたばかりの頃を思い出させた。
「姉ちゃん、ダメかも」
お手上げのジェスチャーを交えながらコトリがSOSを飛ばした。私は2人の元へ行き、ソラを抱き上げる。ソラはしばらく泣いていたが、やがて泣き止むと私の身体にしがみついた。
「たぶん寝ぐずりかな?そろそろ昼寝の時間だから」
「やっぱりお母さんはすごいね」
コトリは感心したようにそう言うと私たちを見た。毎日同じようにあやしていれば、誰にでも出来る事だ、と言葉になりかけたが、やめた。そんな言葉は何の意味もなさない。
「さっきスズちゃんから連絡あって、もうすぐ着くみたいだよ。姉ちゃんに謝っておいて、だって」
「スズは相変わらずマイペースな子だね。お昼どうしようか?スズがもう着くなら何か作ろうか?」
「来る前にネットで調べたら、いいお店があったんだけど、お昼出前でいい?ママが好きだったちらし寿司にしようと思うんだけど」
「いいね。ママもきっと喜ぶよ」
母が亡くなって、今年で5年目になる。母の誕生日に姉妹そろって食事をしよう、と言い出したのはコトリだった。母が亡くなった年、父を早くに亡くしていた私たちは、唯一の肉親である母の死を悲しむ暇もなく、葬儀の準備や手続きなど、形式に追われる日々を過ごしていた。そんな状況を見かねたコトリからの提案だった。姉妹仲良くという母の願いと、母の誕生日が11月3日の国民の祝日であった事もあり、私たち姉妹は毎年この日に食事会を開く事を決めた。去年は私の出産が重なり、見送りとなっていたので、一年ぶりの再開である。
ソラは私の腕の中で、しばらくまどろんでいたが、今は小さな寝息を立てて眠っている。私たちは、ちらし寿司のメニューを決めながら、スズを待った。

「姉ちゃんごめんねー。コトリちゃんも久しぶり、あっ、ソラ眠っちゃってる?」

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