小説

『君達に会うまでのファンタジー』五条紀夫(『桃太郎』)

「だからって……」
 イヌーの痛々しい笑顔を見ていると、自然と涙が零れてきた。
「やはりあなたは勇者様です。先代の勇者様も民のために涙を流す方でした」
 鼻をすすりながらイヌーのことを見つめる。
「なあ、俺が魔王をぶん殴れば、お前は心の底から笑えるか?」
「もちろんでございます」
 唾を飲み込み、立ち上がって勢いよく言い放つ。
「じゃあ、行こう」
 イヌーが深くうなずき、右手を大きく振る。地面に魔法陣が描かれ、そこから直径一メートルほどの、ピンク色した球体が現れる。
「この転生球に乗れば異界に行けます。ただし移動中に赤子になってしまうでしょう。私もこちらの世界に来る際、二十歳ほど若返ってしまいました」
「は? お前、年上かよ!」
 その突っ込みを無視して彼は話を続ける。
「赤子になってもご安心下さい。キビーという植物から抽出した何者をも魅了する薬を球の表面に塗ってあります。発見者が育ててくれるでしょう」
「そう言われましても……」
 とりあえず球に触れてみる。すると勝手に体が吸い込まれ、球に閉じ込められてしまった。こんな慌ただしい旅立ちで良いのか。そんなことも考えたが、イヌーに出会ったその日から、常に、いまこそ異界転生の時、と宣言されていたではないか。まあ、これで良いのだろう。
 膜の向こうにいるイヌーを見る。その時、あることが気になった。
「イヌー、異界に行くには代償が必要って言ってたよな」
「はい、申しました」
「まさか……」
「ご安心下さい。私は大魔導士。一人の力でも勇者様を異界へお送りします」
「そんなことを心配してるんじゃない!」
「たとえこの身が散っても必ず私は生まれ変わります。その時にはいまと違う姿になっているかもしれませんが、それでも勇者様、どうか、どうか私を見つけだし、またお供にして下さい……ゆけ、転生球!」
 イヌーの体が砂のように崩れ、消えていく。辺りが光に包まれる。
 それが、こちらの世界で見た最後の光景だった。

 
 どこかから、声が聞こえる。
――まあ、大きな声で泣いて、どうしたんだい?
――婆さんや、この赤子をワシらで育てようじゃないか。
――ええ、お爺さん、そうしましょう。
――名前はこうだ。桃のような球から生まれたから、桃太郎。

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