小説

『教えと旅する女』秋月秋人(『押絵と旅する男』江戸川乱歩)

 部屋の中央で、あの少女が着替えていた。点滅する電灯の下、和服からするりと白い四肢が現れる。安っぽいオレンジの光が、その肌を妙にエロティックに見せていた。
 夢中になっていたリカコだが、違和感に気付く。少女の関節には接合部があり、生身の人間ではない。
 人形だ。人形が動いている。
「生きているでしょう?」
 背後からの声に叫びそうになる。
 法衣の女はリカコを抱きとめ、室内の少女を見やった。
「私の娘です。成長して、あんなに大きくなりました」
「なんなの……なんなのよこれは……夢なら醒めてよ……」
 顔を覆ってしゃがみこむリカコに、女はそっと双眼鏡を差しだす。
「これを覗けばあなたの願いは叶います。元の世界も悪くないでしょう?」
「二度とごめんだわ」
 双眼鏡をむしり取り、リカコはレンズを覗いた。

 列車のシートで目覚め、リカコは車内を見回した。法衣を着た女が隅に座っているだけで、他には誰もいない。
 時計を見ると夜八時。人がいないなんてラッキーな日もあるものだ。
 リカコはうんと伸びをし、休暇の予定を考えた。コンビニバイトから正社員になって三年になる。仕事にも慣れ、彼氏ができた。同じ部署の先輩で、顔も性格もよいエリートだ。結婚の話も持ち上がり、いまや女子社員の憧れの的である。
 あの夢を見て以降、リカコの人生はかぼちゃの馬車に乗ったかのように上昇を始めた。願いを叶えてくれるという話は本当だったのだと、心の中で感謝する。
「あんな夢、二度とごめんだけど」
 肩をすくめ、揺れる背もたれに体を預ける。
 ふと、視線を感じた。
 車両内には誰もいない。首を傾げ、リカコは背後の窓を見た。
 地下鉄の真っ黒なガラス。
 そこに映るのは自分ではなく、あの少女である。
 リカコはそれを見たまま動けなかった。
『こちらを覗いてはならない。覗けば帰って来れなくなる――』
 リカコの姿が消え、座席に双眼鏡が落ちる。
 法衣の女はそれを拾い、逆側から世界を覗きこんだ。
 中に映る少女が、可憐に笑ってこちらを指さす。
「次は『あなた』の番」
 深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを見ている。

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