小説

『爺捨山』鹿目勘六(『楢山節考』)

 義男は、縁側に腰を落として故郷の夕焼けを眺めている。濡れたような太陽が、青々と拡がる水田とその向こうの街並みを染めて盆地の彼方の山脈にゆっくりと沈んで行く。時々手にした缶ビールを口に運ぶ。
 故郷に帰って来て三ヶ月、ようやくこの風景を楽しむ余裕が暮らしの中に生まれた。
「迷ったけど帰って来て良かった」
その感慨が胸に込み上げて来る。
 義男は、学生時代を含めると47年間大凡半世紀の東京での生活が、夢の中の出来事の様に思われた。都会の雑踏に決別し、昔と変わらない故郷の山河に一日の終わりを告げる大きな夕日を見ていると、幼かった頃の思い出とともに亡くなった父母、そして幼くして亡くなった兄弟の声が聞こえて来るようだ。
 義男は、東京の大学に進学し、そのまま東京の会社に職を得て結婚をした。長男である彼は、お盆と正月には、必ず妻子を連れて帰省した。両親が亡くなってからは、春と秋の彼岸にも帰って来た。お陰で妻の康子は、人並みに海外旅行にも温泉旅行へも連れて行ってもらえないとの不平が口癖だった。 
 その妻は、彼女の夢であった夫婦の熟年旅行を果たしてやることも出来ずに二年前に交通事故で亡くなってしまった。せめてもの慰めは、遅ればせながら長女由香里の初孫の翔をその腕で抱くことが出来たことだ。
 義男は、昨年の春に会社を停年で退職した。それ以来、帰って来る頻度は月に一回位に増えた。そして一週間程度滞在し、屋敷周りとお墓の清掃や荒れるに任せていた畑を少しずつ耕作して行った。それは、故郷を離れていた心の負い目への微かな償いであった。

 しかし所詮、素人の真似事に過ぎない。作業の段取りも機械の操作も分からず、思うように進まない。見かねた幼友達の恵一が、トラクターの操作方法や農作業のイロハを教えてくれた。恵一は、義男の農業の師匠になっていた。だから義男は、帰省すると手土産の酒を持って恵一を訪ねては、農作業のことや集落の行事のことを教えてもらい、少しずつ地域にも溶け込む努力を行った。
 その度に恵一は、ここでも人口減少が進み、昔ながらの村祭りや行事が出来なくなっており、集落の維持が困難になっていることを朴訥に訴えるのであった。
 しかし、一度酒が入ると話しが軽妙になり、昔の闊達だった面影を彷彿とさせる。
「子供の頃、村の社の裏側で遊んでいで土器の欠片を見つけたことがあったべ」
「うん、赤っぽい欠片や黒っぽい欠片があった。二人の秘密の場所にしようと誓ったね」
「そうそう。でも俺は、ずっと気になっていて大人になってから調べてみたくなったんだ。それで学校の先生や町の文化財課の専門員に色々聞いてみた」
 恵一は、目を輝かせて言った。

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