小説

『光と泡』小山ラム子(『人魚姫』)

「じゃあそれでいこう! 姫歌(ひめか)もそれでいい?」
 まるで小さな子を見ているかのような穏やかな笑みを浮かべた友人に、姫歌は大げさなくらい何度も首を縦に振っていた。

 教室を出て階段を下りてから渡り廊下を歩く。楽器の鳴る音や笛の音が遠くに聞こえ、生徒達の生き生きと活動する様子が絵となって姫歌の頭を流れていった。
吐いた息が白く薄い煙になってのぼっていくのを見て帰りにココアを買おうかと思いつつ先を見る。この先にお目当ての図書室がある。
 引き戸を開け中に入ると、受付にいた男子生徒が顔を上げてこちらに一瞬目を向けてから再び読んでいた本に目を落とした。最初にここを訪れたのは三日前。明るく広々としていた中学とは対照的に、高校のこの場所は暗くてかびくさいうえに狭い。それなのに懐かしく感じたのは受付に同じ生徒が座っていたからだ。
図書委員の当番がどうまわっているのかは知らないが、一人の生徒がほぼ毎日ここに座っているのはどう考えてもおかしい。よほど好きでいるのか、周りに押し付けられているかのどちらだろうと思っていたが、高校でも同じことをしている男子生徒の姿を見てその理由が前者である可能性が高いことに姫歌は胸を撫でおろしていた。
 毎日図書室に通っていた中学時代、この男子生徒に仲間意識をもっていた。でも高校にきてからはほとんど本を読んでいない。それよりも友人と一緒にいることを選んだ。だがその決意はさして重要なものではなかったことに今は気づいている。
 今日は何を読もう、と本棚をまわる。久々にこの場所を訪れるようになった姫歌だが、以前とは変わったことがある。作家で選んでいた前とはちがい、今は目についた本を手にとり少しだけ中身を見てから借りていく。読み終わったら感想をまとめ、そしてインターネットで感想を読み漁る。自分と同じような人もいれば、まったく別の読み方をする人もいた。表面しか読んでいないと感じる人もいれば驚くくらい深く読み込んでいる人もいる。それから自分の感想を再読し思考にふけるのだ。この読み方も中学のときにはしなかった。
 おそらく声を出していないことが関係しているのだと思う。無口であった中学のときよりもさらに今の口数は少ない。少ないというか皆無である。だからこそ頭の中で言葉を発したい欲がここまで高まっているのだろう。だからインターネットは有難かった。作品によっては、他の作家が書いた書評や、作者がその作品に込めた想いまでを読むことができる。一人でいるのに大勢に囲まれている感覚が心地よかった。
 教室で友人と一緒にいるときのことを考える。囲まれていながらも一人でいると感じることが偶にあった。
姫歌がよく知らないことで盛り上がっているとき。意見がわれ、姫歌の言ったことではない方にみんなが賛同しているとき。みんなに悪気がないのは分かっているし、直接姫歌を悪く言っているのではないことも分かる。だがそれは息苦しかった。一番つらかったのは、友人をつくろうと今までにないほど努力をしたのにその行動を後悔してしまうことだった。 

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