小説

『運べ、死体』永佑輔(『走れ、メロス』太宰治 、『粗忽長屋』落語、『耳なし芳一の話』小泉八雲)

「金は親兄弟か友達から借りるもんだ。それがダメなら消費者金融だ」
 慇懃だった若者たちは声を荒らげる。
「てめえ、なめてんのか」
「ぶん殴っちゃうよ」
 ことここに至ってようやく熊沢は、人格のあるヒトではなく単なるモノと見なされていることに気づいた。それも、財布程度の入れ物だ。
「よりによって就職氷河期世代から金を奪おうとするな。俺の友達は非正規雇用かフリーターの奴ばっかだ。中には包丁を持って徘徊した奴や首を吊った奴もいる。狙うならもっと上の世代か、もっと下の世代だ。や、そもそも人の金を狙うな」
 言うが早いか熊沢は立ち去ろうとした。
 男女はしつこい。熊沢の腕を掴む。
「金を置いてけ」
「金はない。あるのは芹那と命だけだ」
 言っても仕方がないので、熊沢は芹那のことを伏せるつもりだった。けれど、「熊沢じゃなきゃダメ」な芹那に悪い気がして口に出したのだった。
「背中のソイツが芹那か」
「コレは俺だ」
 男はクルクルパーのジェスチャーをした手で、熊沢のポケットをまさぐる。
 熊沢は熊沢を背負っているせいで、されるがまま。
「双子か」
「双子だね」
 熊沢と熊沢の顔を交互に見て鼻で笑い、男と女は立ち去った。
 財布を抜かれたせいで、熊沢のポケットは裏地が出てしまっている。

 熊沢は歩みを進めようとした矢先、赤信号に捕まる。
 強烈な日差し、変わらない信号、強烈な日差し、ママチャリのブレーキ音、強烈な日差し、排気ガス、強烈な日差し、裏地が出たポケット。
 ネガティブな思考が熊沢を蚕食し始め、とうとう熊沢に怒りをぶつける。
「もしかして、まだ半分も来ていないんじゃないか。間に合わなかったらお前のせいだぞ。おい、本当は起きてるんだろ。自分の足で歩け」
 相変わらず熊沢は目を閉じたまま、重さをいかんなく発揮している。
 ふらふらり、熊沢はバランスを崩す。これはマズい、と熊沢を寝そべらせ、歩道の縁石に座った。
 熊沢はうらめしそうにお天道様を眺める。すると意識が薄れ、熊沢と鏡写しになるようにあお向けになって、気を失った。
 ぷーん。熊沢の額にハエが止まる。
 ぷーん。ハエは熊沢の額に飛び移る。

1 2 3 4 5 6