小説

『太郎の帰郷』和田東雲(『浦島太郎』)

 夏休みなんて来なければよかった、と太郎は思った。
 沖縄県宮古島、太郎はこの島がきらいだ。
 八歳。小学校二年から、夏休みになるとちょうど一週間、太郎はこの島にやってくる。家を捨てた母に会うためだ。母は三才になる太郎を捨て、故郷のこの島に帰ってきたのだ。
「太郎、どれだけあなたに会いたかったか」
 三年前、初めてこの島の空港に降り立った時、母はそう言って太郎を抱きしめさめざめ泣いた。太郎は涙なんて流れなかった。思い出の一つもない母。タンクトップとショートパンツという母の姿は、あまり東京では見ない格好で、沖縄なのに色が白くて、逆に不潔な感じがした。

「あばぁ、かなすぅやらびぃ」
 石垣と南国の木に囲まれた母の実家に着くと、しわくちゃな顔の老婆が聞いたことのない言語をっ喋りうれしそうに太郎を抱きあげた。海の匂いがした。
「なんて言ってるか分からないでしょ。『かわいい子』、だって」
 そのときは母が通訳したけれど、日常会話でも、分からない言葉を連発されて、太郎は途方に暮れた。その日の夜に帰りたいと太郎は泣いた。けれど帰りの飛行機まであと七日間も残っていた。地獄のような七日間だった。

 毎年、このような地獄の夏休みが訪れた。行きたくない、一週間もあんなところにはいれないと父に訴えたけれど、何一つ変わらなかった。
「裁判で決ったんだ、変えようがない」
と父は冷たく言い放った。

 家にいるのは耐えきれなかった。家の裏手の海岸だけが太郎の逃げ場所だった。宮古島のほとんどは、うんざりするほどの観光客でごった返す。母ははじめ、島の観光名所を太郎に案内して回ったけれど、どこに誘われても頑なにつまらない顔をして見せるので、その内母もあきらめた。
 にんじんしりしりやら、もずくの酢の物やら、苦手な食べ物ばかり出る朝ご飯を片づけると、太郎は海岸を散歩する。家でゲームをしていると、祖母が「んむっしぃ?」と画面をのぞき込んでくる。「面白い?」という意味だ。面白いわけなんてない。「つんだらーさ」と祖母は呟いた。「かわいそう」という意味の方言だ。そうかぼくは、「つんだらーさ」な「やらびぃ」なのだ、と太郎は思った。

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