小説

『醜悪』軽石敏弘(『みにくいアヒルの子』)

 富裕層はまるで高級ブランドの服を纏うかのように、洗練されたオートクチュールの義体を大量に購入し、その日の気分に合わせて義体を変えたり、流行に合わせてカスタマイズしていたりした。
 中流階級は、大量生産された廉価版の義体を纏うか、肉体を手放し仮想現実内に精神を転生させた。
 残された貧困層は、義体を手に入れることも、仮想現実に精神を転生することもできず、飢えに耐え忍ぶ日々を送っていた。

 私たち家族は義体を纏うことも仮想現実に精神を転生することもしなかった。代わりに父は非営利団体を設立し、貧困層を支援する活動を続けていた。生活は苦しかったが、それでも父はありったけの愛情を母と私に注いでくれた。
 しかし、精神転生を擁護する人々は如何なる理由であれ、父のように醜人の姿であり続ける人々がこの世に存在している事実を忌み嫌った。醜人蔑視の意識に助長され、彼らはヘイト運動を起こすようになり、その運動はやがて暴力を伴う排除運動へと一転した。やがて彼らの運動は政府も巻き込み、醜人たちを強制収容所へと送り大量虐殺を行う、醜人絶滅政策へと変貌していった。言うまでもなく私たち家族もその暴力の対象となった。

 ある日私たちが住んでいたアパート周辺でも、反醜人主義を掲げる人々による過激なデモ活動が行われ、住居者たちとの激しい衝突が起き、その結果、辺り一面が火の海となった。
 銃声と怒号が飛び交い、ヘリコプターの旋回音と救急車のサイレンが鳴り響いていた。私たちのアパートにも火が移り、黒煙が立ち込め、荒れ狂う業火が全てを飲み込んでいた。
 その時外出していた父は奇跡的に私たちのアパートにたどり着き、リビングで意識を失い倒れている私を見つけた。私を守ろうと自分の身を挺した母は、私の横ですでに亡くなっていた。
 炎の中、父の心の奥底で生まれた感情は果てしない自責の念だった。最愛の妻を救えなかった自分の無力さを責めた父の姿はかつての祖父と重なった。しかし父は決して最愛の妻を死に追いやった現実を憎むことはしなかった。父はこの世界で生きるにはあまりにも優しすぎたのだ。

 火災から救出された私は搬送された病院で奇跡的に一命をとりとめた。しかし重度の火傷を負った父は私の生存を確認して間もなくこの世を去った。

 その後、容態が回復した私は、強制収容所へと送られることになった。収容所へ送られる前夜、優しくしてくれた一人の看護婦がそっと父の記憶の一部を私にくれた。
収容所には、私と同じように両親を失った醜人の子供たちが大勢いた。そこで収容された子供たちは、定期的にどこか別の場所に隔離され、二度と戻ってくることはなかった。

 私たちがこの世界に存在していたという証拠を残すために、私は収容所の子供たちの写真を撮り始めた。

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