小説

『静かな詩のような魔法』和織(『灰色の姉と桃色の妹』『シンデレラ』)

「また、ずっとずっと後のお話?」
 そのときまだ少年だった功は、首を傾げ、唇を尖らせた。彼の母親はときどき、「ずっとずっと後のお話」を、おとぎ話をするように語ることのある人だった。子供の頃の彼には、もちろん意味がわからなかったし、そういう母の発言自体が、少し怖かった。しかし、母がそうして昔から隠さずにいてくれたおかげで、そういうものの存在を、功は自然と受け入れられる人間に育っていった。
「そうだよ。ずっとずっとずーっと後のお話」
 そう答えて、母はスイカをかじった。だから、その話を初めて聞かされたのが夏だったことを、功はずっと覚えていることになった。
「明日の次より後?」
「もっともっと」
「お母さん、なんで、そういうこと言うの?」
「それはねぇ」母はしたり顔を功に近づけて、秘密を打ち明けるように囁いた。「お母さんは、魔法使いだから」
「魔法?」
 一転、功は興味津々の目で母を見た。魔法となると、話が違ってくる。
「魔法?それ、魔法なの?」
「そう、魔法だよ。だからみんなには内緒なの」
「ねぇ、じゃあ、僕も魔法使いになるの?」
 功は言いながら母の手を掴んで、上下に振るように引っ張った。しかし、母はその期待を、左右に首を振りながらゆっくりと裏切った。
「ううん。功はね、王子様になるの」

* * *

『まだ帰らないの?』
 スマホを見る前から、そのメッセージが妹の詩からのものだと、静にはわかっていた。仕事関係の人間以外で連絡を取り合うのは、詩だけだ。手袋の嵌められた手で、静はすぐに返信をした。
『今帰る』
 静には、妹以外の殆どの関係が必要がない。人生において、詩が一番重要で、詩といるのが、一番ほっとする。もうずっと前から、詩は静にとっての神だった。
『ごめんね。仕事で、時間がかかっちゃって』
 もう一度、メッセージを返した。手袋をしたままでは、やはりスマホは使いづらい。暖かくなってきたし、正直うっとうしい。でも、静にはどうしても、家の外で手袋を外すことのできない理由があった。周りには、神経の病気で直接物に触れられないので、医療用の手袋をしているのだと言ってある。子供の頃から、そう嘘をついている。そういう嘘は、いつまでもつだろう?と、ときどき静は考える。嘘が消耗されて通用しなくなってしまったら、果たして社会の中に、存在し続けることができるだろうか?悶々とそんなことを考えた。どの想像も、「不」のつく言葉に繋がる。静とそれらは、妹の詩が生まれた4歳の頃からの、長い付き合いだ。

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