小説

『最後の真珠』三星円(『最後の真珠』)

「中学はどう?楽しい?」
 ママが学校のことを訊くのはめずらしい。ママはぼくの学校や成績に、真珠より興味がない。
「楽しいよ。フェンシング辞めて科学部入ったのも正解だった」
 ママの顔が曇る。ママはフェンシングクラブを続けさせられなかったことをずっと悔やんでいた。ぼくはもうすっかりフェンシングにあきあきしていたからいいのに、家計を気にして辞めたに違いないとママは頑なに信じていた。
「高校はどう?楽しみ?」
 ママは真珠に目を向けたまま訊ねる。真珠の数はすでに百を超え、目の荒い網のように編まれている。ママが撫でると光が上から下へ流れるように真珠はかがやく。
「高校っていっても一貫校だからなぁ。メンバーも変わらないし、中学の続きってかんじだと思う」
 ぼくは紙パックのオレンジジュースをコップに注ぎながら答える。
「今の学校の高校に通いたいわよね?」
 ぼくはママの顔を見る。ママは顔をそむけたままぼくの真珠を見つめている。
「通いたい……っていうか、通う以外の選択肢がないと思ってた」
 正直に答える。ぼくの通う学校は進学校として知られる小中高一貫の私立男子校だ。高校まではこの学校で過ごし、受験して大学へ進む。それ以外の道を考えたことがなかった。
 ママはようやく顔を上げた。
「わかったわ」
 パパとママはそれからほどなく離婚した。パパがマンションのおうちから出ていった。パパとぼくは全然話さないようになっていた。ぼくの反抗期というわけではなく、パパがぼくを避けていた。
 パパが出て行く日、荷物が運び出される様子を呆然と見ていた。ママは出かけていた。パパの荷物は驚くほど少なかった。数千枚あったジャズのレコードや彫刻品がなくなっていることにようやく気づいた。
 引越し屋さんが行ってしまうとふたりきりになった。ぼくは玄関の上がり框に立ち、パパは三和土に立っていた。ぼくはパパと身長が同じくらいになっていて、こうやって立つと床の高さの分だけぼくの背のほうが高くなる。
「じゃあな」
 パパは腕を伸ばしてぽんぽんぼくの頭を叩いた。
 ぼくの真珠を売ればいい。
 あれはとても貴重な宝石だとママが言ってた。きっと高い値がつくはずだ。レコードや彫刻を売る前に、お屋敷や別荘を手放す前に、早くパパに打ち明けてぼくの真珠を売ればよかったんだ。
 ぼくが口を開こうとした瞬間、パパはくるりと背中を向けて玄関から出ていってしまった。追いかけなきゃ、と思ったのに足は上がり框にくっついたみたいに動かなかった。
「高校は今のところにそのまま通えるから。安心して」

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