小説

『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)

「え……愛してるよ、とか?」
「えぇ……そんなの言ったことないんだけど……」
「いいから」
 メッセージを送ってみるが、確かにしばらく待っても返事はこない。留守電に入れてみるが、賢也の耳が赤くなった以外変わりはない。
「……ふぅん」
「……なんかにやついてない?」
「え? そんなことないです」
 嘘だった。確かに少しにやついている。もしこれで賢也には返事がくるようだったら立ち直れなかったけれど、彼も香奈子と同じ立場だと知れたからだ。つまり由紀奈の中での香奈子と賢也の順位はそう変わらない。そう思うとなんだかにやついてしまう。
「ありがとうございました。私、由紀奈を信じて待ってみます」
「あ? そ、そう……?」
 突然ころっと変わった香奈子の態度に、賢也は面食らっていた。

 そしてやってきた金曜日。今日の17時にイベントは終わり、終了時点のランキングがそのまま報酬に反映される。つまり今日は駆け込みで走り込む人間が大量にいるということだ。もうここまでくると順位を上げることよりもキープが優先だ。皆血眼になってスマホの画面をタップする。クラスの中にも何人か、休み時間に必死にタップをしている人を見かけた。
 香奈子はと言うと、いつもならこの時間は彼女たちと同じようにスマホをタップしているのだが、ここ数日は違った。真面目に教科書を読んで、次のテスト科目に備えている。全く勉強が出来ていないため最後の悪足掻きをしなければならないから、というのは間違いないのだが、それだけではなかった。テストが始まってから、香奈子は一度もTwitterを開いていなかった。余計な情報を入れるとまた由紀奈を疑う気持ちが芽生えてきそうだし、それ以上に、推しキャラクターと推しカップル以上に、由紀奈が大切だととうとう気付いたからだった。しかし由紀奈はきっと、全てをシャットダウンしてイベントを走ってくれている。根拠はないがそう信じられた。だから自分に今できることは、一つでも追試を減らして、由紀奈の勉強に付き合うことだと、香奈子は思った。
 珍しく手ごたえを感じた最後のテストを終え、香奈子は意気揚々と学校を出て行く。足は次第に速く、駆け足になり、今ではもう全速力だ。セリヌンティウスの気持ちもメロスの気持ちも、今ならわかる。私たちは、きっと、どちらもメロスであり、セリヌンティウスなのだ。
 月曜日ぶりの由紀奈の家が見えてくる。月曜と同じようにインターホンを押すと、由紀奈の母が出迎える。
「あ、香奈子ちゃん。由紀奈は……」
「まだインフルですか?」
 言いながら、香奈子は二階の由紀奈の部屋のカーテンがひらりと動いたのを見逃さない。
「えっと……」

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