小説

『うし若とベンケー』島田悠子(『牛若丸と弁慶の逸話』)

 一体いつからこうなってしまったのか。
 五条高校といえば泣く子も黙るヤンキー高校であった。この界隈でそれを知らないヤツがいたら、それはモグリかただのアホ。伝統だけはやたらとあるこの男子校は、長らくその治安の悪さから地元で恐れられ、ここには在校生か腕試しの猛者以外は決して近づかなかった。……のだが。
 あるときを境に五条にはかわいらしい女子生徒の集団が押し寄せるようになった。今日もまたキャピキャピと夢見がちなガールズが正門あたりを桃色に染めていた。そんな状況には縁のないガラの悪い男子連中は行く手をふさがれて困惑。上京したての田舎者が渋谷のスクランブル交差点をまっすぐ歩けないがごとく、彼らも女子をかきわけて正門を通り抜ける術をもたない。これは全くいい迷惑だと言う者と、そう言いつつも顔のニヤケが止まらない者とで五条は分断、いや、いつになくほぼほぼ後者で団結していた。
 まさか、こんなことになるなんて誰が想像しただろう。
 一年生の一学期から五条のトップをはっていた五条史上最強の男、早乙女ムサシは、三年生になっていっそう心技体ともたくましさに磨きのかかった自分がこうもあっさりと誰かに覇王の座を奪われるとは思いもしなかった。これは青天の霹靂、寝耳に水、ハトに豆鉄砲。ムサシが五条の覇権を先代から勝ち取ったのは、彼がここに入学して何か月かたった一学期の終わりだった。夏休みも間近になったある日のこと、突然の通り雨に、当時トップをはっていた三年生が偶然にも近くを通りかかったムサシに、
「おい、一年、傘貸しな」
 と声をかけた。「貸せ」と言いつつ、返ってこないことはどう考えても明らかだった。ムサシはそれを断った。そして殴り合いのケンカが始まり、五分後、立っていたのはムサシ一人だけだった。トップをはっていた生徒も、彼の取り巻きも、みながムサシの足元で無残な負け犬となりはてていた。ムサシはなんとなく、なんとなぁーく、この連中の傘を一本残らずもらって帰った。普段は温厚なムサシだが、このときは理不尽な暴力に少しだけ腹を立てていたのだ。
 ムサシが五条に入学したのは単純に家から最寄りだったからで、特に腕に覚えがあったわけではなかった。が、フタを開けば彼が三歳の頃から継続は力なりと通い続けてきた地元の公民館主催の子供むけ格闘技教室で学んだ格闘スキルは、ヤンキーたちの血の雨降らす実践ケンカ殺法を軽く上回っていた。それからというのも、五条の顔となったムサシはケンカを売られるたびに天気予報を確認し、雨の日を指定しては倒した相手の傘を奪う、というスタイルを続けてきた。なぜかと問われても答えはない。なんとなく、である。あえていうなら、乗りかかった船。それ以外に言いようがない。結果、ムサシは家に置ききれないほどの傘を集め、ついに母親に叱られ、保管場所を変えて学校に千本近い置き傘をすることになったのだった。その数は正確に数えると999本。こうなると千本目がほしくなってしまうのが人情というもの。しかし、このちょっとしたかわいい欲でガラにもなくからんでしまった相手が「彼」だったのが、ムサシの運の尽きだった。

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