小説

『Gの恩返し』まいずみスミノフ(『鶴の恩返し』)

 壁の茶碗は面倒なので放っておいただけなんだけど…。
「恩というのは得てして、返される方に心当たりがないものです」
「はあ」
「ここに置いていただけるだけでも十分な恩義を感じております」
「いったいいつからいるんだ…?」
「祖母の代からお世話になっていますから三、四年といったところでしょうか」
 正直ぞっとした。完全に苗床だ。これは確かに焼き払うしかない…。
「そういうわけなので恩はあります。何なりとお申し付けください」
「なんなりと、ったって…」
 その途端待っていましたとばかりに腹の虫が鳴く。
 Gさんはにっこりと微笑んで
「では昼食の準備をいたしましょう」
 といった。

 キッチンから聞こえてくる軽快なリズムに合わせて、ほっそりとした白い手が慣れた手つきで食材を刻んでいく。あれが実は脂ぎった毛むくじゃらの前足とは到底思えない。
 頭のおかしな女が突然押しかけてきたと考える方が自然だ。
「お待たせいたしました」
 Gさんの用意した昼食は平均的な朝食のようなメニューだった。
 おれは戦々恐々としながら味噌汁を一口啜る。
「……」
 瞬間、面倒なあれこれは吹き飛んだ。俗に言う胃袋をつかまれたというやつである。
「うめえ、うめえよGさん…」
 己の意思に反して涙がポロポロとこぼれ落ちる。どこか懐かしい塩と大豆の味が失恋の傷に染み入る。想像以上にその傷は深かったらしい。
 しかし彼女はやや不満げに口をへの字に曲げていった。
「あの…Gさんはやめてください。おじいさんみたいで嫌です」
 朝食みたいな昼食にがっつきながらおれは頷く。
「…G子とお呼びください」
 どっかの監督みたいな名前だった。
 その後もG子は家事全般をテキパキとこなしていく。その姿に思わず「…本当にGなのか?」と尋ねてしまう。正直Gでさえなければ、多少頭のおかしな女だとしても犬猫の化生の類いだとしても嫁に娶っていいような気さえしてきた。
「もっと可愛らしい動物とか…」
「可愛くないですか?」
 外見的にはどんぴしゃである。

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