小説

『勇者はおばけの如く』鈴木沙弥香(『桃太郎』)

「そう、あと名前とか住所とか個人を特定できるものは何も。自分の名前だけ覚えてても意味ないのに。意味わかんない」
 苛ついたように言われた言葉は、僕に苛立ったのではなく、重要なことを覚えていない自分への苛立ちなのだと理解できた。
「というか、どうやって退治に行くわけ?」
「そりゃやっぱ正々堂々タイマンで勝負でしょ?」
「チサちゃん無理だよ、竜君は弱いんだよ?」
「ほ、本当、な、名前負けだ」
 僕は生粋のいじめられっ子体質なのだろうか。こんな幽霊にすらばかにされるなんて。
「確かにみんなが言うように僕一人じゃ勝てない。と言うか、僕一人で行ったら寿命あげる意味なくなっちゃうじゃん」
「んーじゃあ呪っちゃう?」
 呪いという非現実な言葉も、チサが言えば僕の全身は鳥肌で覆われる。
「だ、ダメですよ、そ、そんな簡単に」
「呪いはちょっと僕も抵抗ある……。他に何かできないの? ほら、ホラー映画のお化けみたいに」
「できるよ! 僕は10秒間人を金縛にかけられるんだ」
「あたしは人に乗り移れるよ」
「わ、私は、物や電気を操れます。す、少しだけですけど……」
 できることも幽霊それぞれなのだと初めて知った。どういう基準でできることが決まっているのかは分からないけれど。
「まぁそれなりに使えると思うから、あんたがいじめっ子たちに立ち向かって行くとき、あたしたちが絶対いるようにする。で、ちょっとでも手助けできるように見てる、それならどう?」
「本当に助けてくれるの?」
「そりゃね、その腰につけた寿命貰うことが約束なんだから」

 
 僕がいじめっ子の前に仁王立ちする日が来るとは夢にも思っていなかった。
「なんだよ、喧嘩売ってんの?」
 ゲラゲラと甲高く笑う彼らの声は腹立たしく、僕に負けることなど絶対にないと思っているに違いない。
「やれるもんならやってみろよ」
 リーダーが立ち上がる。思わず僕は手を握りしめた。手のひらにべっとりと汗が滲んでいてなんとも気持ち悪い気分だった。

 
 作戦は昨日の夜に練った。僕が拳を振りかざしたらコウタ君が10秒間取り巻きのいじめっ子たちを金縛にかける。チサはリーダーに乗り移り体の制限をする。ケンジさんはもしもの時に動かせる何かを見つけておく。つまり10秒間で完結するはずだったこのいじめっ子退治。それなのに僕はどうして、さっき彼らが陣取っていたここで仰向けに倒れているのだろう。動かせないほど体が痛く、口の中には鉄の味が広がっている。これは、完全なる僕の敗北だった。
 僕が拳を上げてコウタ君が金縛りをかけたところまでは良かった。それからチサがリーダーに乗り移り、殴れと言わんばかりに僕に向かって手を広げて見せた。僕はリーダの顔を目掛けて思い切り拳を当てに行った。このまま10秒間ボコボコにするつもりだった。なのに。

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