小説

『GUM』松野志部彦(『貨幣』)

 かくして、私達は増田女史の懐へ移り住むことになったのです。

「何アレ。キモイんだけど」
 桂木氏がいなくなるなり、増田女史がお友達へ囁きました。
「なんだ、梅ガムって……」
 彼女達のクスクス笑い合う声を聞きながら、私は人間が操る二つの顔について、しみじみと考えさせられました。純朴と程遠い少年少女が私達の最期を司る主であること、それがどうにも残念でなりませんでした。
 幸いにも、増田女史は私達を屑かごに捨てず、鞄の小物入れへ仕舞ってくれました。その日の私達は、それ以上一枚も欠けずに鞄の中で夜を過ごすことになったのです。
「俺達はどうあっても惨めな最期を迎える運命なんだ」
 真夜中、あの悲観的な仲間が呟きました。
「あたし、嫌だな。想像と違ってたもん」
 もう一枚の仲間も弱気なことを言っています。
 私は黙っていました。しかし、残された三枚のうちでも、私が一番落ち込んでいたのは間違いありません。まざまざと見せつけられる現実にすっかり嫌気が差し、仲間と口をきくことすら億劫だったのです。いっそ早く吐き捨てられ、一人でただひっそり成仏を待つ、そんな結末をやけっぱちに望んでいました。

 それから朝陽が昇り、再び沈み、それを幾度か繰り返して、何日経ったかもわからなくなったある日、転機が訪れました。私達は日持ちするお菓子ですから、その日を辛抱強く待つことができたのです。
 その朝、増田女史は鞄の隅に埋もれた私達を発掘しました。拾い上げられた時、彼女が怪訝な顔つきをしていたので、「ひょっとして屑かごに捨てられるのでは」と私達は震えてしまいました。
 ちょうどその時、男の子が増田女史の部屋へ入って来ました。目鼻立ちがよく似ているから、どうやら弟さんのようです。
「あんた、ガムいる?」
 増田女史が私達を差し出します。どういった経緯で私達を手に入れたのか、もう忘れているようでした。
「いる」
 弟さんは目を輝かせました。
 人間同士のこうした簡単なやり取りで、私達の運命は大きく左右されるものです。私は、それについては全く不満ではありません。誰かの口の中に入っておいしく食される、それだけが私達の唯一の望みなのですから。ただ、時々、彼らと自分の格の違いに圧倒されてしまうだけなのです。
 弟さんは私達をランドセルの奥底に放り込むついでに、あの悲観的な仲間を抜き取りました。仲間は声に恐怖を滲ませながらも、最後まで皮肉屋の気丈を装って私達に告げました。

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