小説

『草笛の庭』倉吉杜季(『おくのほそ道』)

 独り言のように青年はそう言って立ち上がると、ちょうど目の前に生えていた雑草の丸くて先の尖った葉をいくつか摘み取って、男の所にやって来た。
 男がじっと見ている前で葉を折り、中指と人差し指とで挟んで口にくわえ鳴らそうと息を吹き込んでみるが、葉にぶつかる風の音がするばかりでなかなか笛の音は響かない。
「あれ、鳴らない。……ずいぶん久しぶりだからかな。昔はうまく吹けたのにな」
 しばらく苦心している青年を見かねて、男は「貸してみなさい」と別の葉っぱを受け取ると中央に穴を開け、指で器用に挟んで唇に当てた。
 男が息を吹き込んだとたん、さっきまでただの雑草だった葉っぱが突然楽器になったように、ビブラートの効いたはっきりと甲高い音色を辺りに響かせた。
「すごい」
「草笛を上手に吹くにはね、穴を開けてこういう風に口に当てるんだ」
 手ほどきをする男を見て、青年がくすりと微笑んだ。
「……やっぱり」
「何がおかしいんだね」
「今でも、すごくお上手だなと思って。それにほら、草笛に夢中になる姿は今も変わっていないですね、──園長」
 彼は今でもまだ自分のことをそう呼んでくれた。
 もう誰も知らないと思っていた、数十年ぶりに呼ばれた名前に、男は驚いた顔で青年を見つめた。

「あなたはきっと覚えていないでしょうけど」
 そう言って、青年は静かに男の隣に腰かけた。
「あなたはかつてそうやって僕に、草笛の吹き方を教えてくれたんです。僕が子どもの頃に草笛を吹けたのは、あなたに教わったおかげなんです」
 指先で摘まんだ草笛を弄びながら、青年は当時を懐かしむような顔をした。
「その時あなたはこんな風にも言いました。『人目を楽しませる綺麗な花だけが素晴らしいわけじゃない。一見役立ちそうもない雑草でも、こんなに楽しい音色を奏でることだってできる。この世界に無駄な存在なんてないんですよ』と」
 あの頃、園長として毎日『エバーランド』で客を迎えていた男は、暇をみて園内の隅っこに生えている草を摘んでは、子どもたちに草笛の吹き方も教えていたことがあった。
「僕はここに育てられたんです。この近くに住んでいたこともあったし、それに自分の庭のように頻繁に遊びに来てほしいという園長の思いから、年間パスだってとても安かったでしょう? だから僕は頻繁にここに通っていたんです。大好きな場所だった」

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