小説

『デーモン笹ケ瀬の左眼の世界は』もりまりこ(『桃太郎』)

 早く帰ろう。桃抱えて帰ったろう。と思いつつ、地下から地上に出ると、なんか天気が良くて一駅歩いたろうって足がなんとなく緑地公園に向いてしまう。
 ベンチにはしょぼしょぼの男がちらほら。たぶん今日の俺みたいなひとかもしれんなって、思いつつ、重たい桃をみてたらなんか食べたなってきて、ひとつぐらいええやろうってなもんで、貪り食う。みっともないとかどうでもいいねん。リストラされた男なんてなに体裁かまってんねん。自由や! 解放や。ここから一生フリーのレゲエマンになるかどうかの瀬戸際やねとかって、あぐねてたら電話が鳴った。
 うるさいわ! どうせキビやろ。桃こうてきたったんやからって反射的に出たら、しらない感じの女の人のよさげな声。
<あなた、やっぱり犬雉桃太さんですよね。春日局の桃、きらきらを食べましたよね。もう待ってましたよあなたのことを>
 だ、だ、誰ですか?って問う間もなく<抜擢ですよ。大抜擢。だってあなたじぶんのチームを持てるんですよ。チーム桃太郎。あなたがトップに立てる日をわたしたち待ち望んでいました>
 わ、わからん? スマホをスピーカーにする。まだ喋ってはる。
<で、犬と雉と猿はこちらでご用意させていただきます>
 全方位型の視線でもって公園を見渡す。怪しそうなひとはおらん。不機嫌そうで不愉快そうで、ふしだらそうなひとばっか。なんか、わからんけど、することもないんで待つ。待ってたら案の定、キビから電話。
<(笑)ね、桃ちゃんが桃買うてくるなんて笑えるわ。だって桃太郎の遺伝子持った桃太郎が、なんで桃買ってんのって。ねぇ聞いてる?>
 俺はしばらく黙ったった。ノーリアクションがあいつをすっごい不安にさせるんを知ってたから。
<買うたで。でひとつ食べたった>
<え~なんで? まぁええけど。ひとつだけにしといてよ。帰り早いん? 今日つわりがましやねん。だからちょっと気分いいわ。うわ、いやよくない>
 キビは俺が遠い昔に桃太郎であったことを知っていた。遠い遠い親戚かなにかにあたるらしく、さいしょは親近感を持ってつがいになった。
 そして妻はいま妊娠している。俺、犬雉桃太の子を宿している。
 今、俺なチーム桃太郎のなとかって言い淀んでたら、ぶちっと電話が切れた。キビが発したのは、やだ、吐きそうだった。そしてぶちっと。
 することもないんで待つ。しばらくすると、遠くからひとりの男がやってきた。すこしいびつな表情をした、犬の絵が描いてあるTシャツを着てる。アフガン犬みたいなヘアスタイル。こっちに歩いている道すがら、公園でキャッチボールして遊んでいた男の子たちのボールが彼の足元に転がる。彼が、犬の素早さでもって靴のヒールにくぐらせると膝小僧で受け止めたそのボールを手の甲でキャッチして投げ返した。男の子達がうぉーって歓声を上げて、野球部だったのかキャップを脱いで、ありがとうございますっ。って頭を下げた。あのアフガン君ってもしかして、俺の子分? そのすこし無愛想だけど愛嬌たっぷりの犬っぽい表情がたまらない。なんかものいいたげな瞳をしていて、左目の下の皮膚のあたりはすこし、
茶色い。髪の毛は白っぽくカラーリング。

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