小説

『鬼我島』木暮耕太郎(『桃太郎』)

どんぶらこどんぶらこ、桃太郎たちを乗せた舟は長い航海を終え今まさに鬼ヶ島に接岸しようとしていた。雉が上空を旋回して偵察したが鬼の軍団というのは見当たらなかったようだ。
桃太郎一行は砂浜を歩き、ひとまずあたりを探索しようと話を決めた。そのとき、向かいの林の隙間からガサガサと音が聞こえ、すかさず桃太郎は刀を構え、犬と猿も威嚇した。

「まってくれ、まってくれ。ぬしらワシを殺しにきたんじゃろ。そう構えないでくれ。もう見ての通りの老いぼれ、風前の灯火じゃ。そういじめなんでくれ。」

見るからに貧相な老人が姿を現し桃太郎は大層に調子が狂った。申し訳程度についている角がなければ彼を鬼だとは到底認められなかった。

「俺の名は桃太郎。人間が暮らす世界から貴様らを殺すためにはるばるやってきた。貴様ら鬼のせいで人の世には災いが絶えないと聞いた。弱音は聞かぬ、成敗いたす!」
「ま、まて!」

老鬼は腰を抜かしてへたり込んだ。桃太郎は老鬼の首に刃を当てがった。
「ほかの鬼どもはどこにいる。」
「いやぁせん・・・この島にはワシひとりだけじゃ。」
「嘘をほざくな!」
桃太郎は刀を振りかぶった。老鬼は覚悟を決めたのか今度は狼狽せず静かに言葉を発した。
「のう、やめんか。見ての通り、ワシはおぬしに逆らう気は毛頭ない。それに殺そうとすればいつでも殺せるのはわかったじゃろ。・・・永い間ひとりじゃった。さみしかったんじゃ。今日はぬしらと語らいたい。どうか人の世の生活というものを話してはくれんかね。今夜はワシの家に泊まるといい。そして夜が明ける前、ワシが寝ておる間に殺すがよい。のう?」
老鬼は犬、猿、雉に笑顔を向けた。
犬たちも困惑の表情を桃太郎に向けた。桃太郎はため息をつき刀を鞘に戻した。元来心根の優しい少年である。鬼成敗を決心したのも正義心からだった。
「爺ぃ、名前はなんという。」
「そのまま爺ぃでよい。殺す者の名など知れば情がわくだけぞ。それより宴じゃ。嬉しいのう、客人を迎えるなんぞ何時ぶりか。さぁついてこい。」
老鬼は立ち上がり歩き出した。

桃太郎は気を張っていた。これは鬼どもの罠で老鬼を囮にして奇襲を仕掛けてくるかもしれない、と。しかし待てども待てどもそのような事は起こらなかった。

老鬼の住む屋敷は年季は立っていたが小綺麗に保たれていた。庭先には美しい花々が咲いており、この老鬼の清廉な暮らしぶりと心優しさを連想させた。

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