小説

『ふりゆくものは』新発田瞳(『雪女』)

「おう、どうした」
 箸を止めることなく答える。あまりにも美味ゆえ、本当なら二、三日もたせたいが、今夜中になくなるかもしれない。
「はい。巳之吉様のお帰りをお待ちしている間に、本日もこの様な刻限となってしまいました。大変厚かましくて申し訳ないのですが、さらに一晩宿をお貸しいただけませんでしょうか」
 ――ああ、何だそんなことか。もっとお雪と話したいと思っていた巳之吉にとって、願ったり叶ったりとはまさにこのことだ。
「旅支度もあるじゃろ。お前の居たいだけ居ていいぞ」
「まあ、ありがとうござります!」
 いかに厳しい寒さで知られる越後と言えど、春が来れば花が咲き、日も長くなる。孤独に慣れた巳之吉の胸にも変化があったことは想像に難くない。

 
 お雪は一向に旅の支度をする気配を見せず、それどころか麻を織ったり、村人の農作業を手伝ったりして巳之吉の家計を助ける様になっていた。
 やがて村では「巳之吉が随分と器量良しの嫁をもらった」と話題になったが、巳之吉もお雪も否定はしなかった。そのうち村人達は少しばかりの米や酒を巳之吉に寄越し、きちんと祝言を上げる様に勧め、二人も素直に従った。
 夏が来る頃には、彼らは正式に夫婦になっていたのである。
 さて、二人は急に魚が食べたくなって、川へ来ていた。
 浅瀬に両の脚を突っ込んで魚を追う巳之吉を、お雪は川端に座って眺めていた。
 夏ともなれば陽射しもそれなりである。川面はきらきらと光り、巳之吉の肌もまた一段と日に焼けていたが、同じく毎日外に出ているはずのお雪の肌は変わらぬままだった。
 実は村の女達はひそかに不思議がっていたのだが、そんなことに関心の向く巳之吉ではない。突然手に入れた夫婦の暮らしを日々有難く感じ、また楽しんでいた。
 それほど幸福でいっぱいの巳之吉であったが、どうしたことか魚は一向に見当たらなかった。実は最近大雨が降って増水した際に多くの魚が移動していたのだが、川が家から離れていたため彼はその事情を全く知らなかったのだ。
「ああ、巳之吉様、ほら、あの岩の陰でござります」
「よし来た!」
 貴重な一匹だ。言うが早いか、巳之吉の逞しい手は確かに魚を捕まえた。
「ふう、やっとじゃ……」
 川岸に上がって手を開けると、そこには何ともかわいらしい、片手にもあまる大きさの魚が身をよじらせていた。腹立たしいほどほっそりとした体つきの魚である。
「お前が見つけたんじゃけ、お前が食えばええ」
 もうそろそろ帰り始めねば日が暮れる。片付けながら巳之吉が言うと、
「お獲りになったのは巳之吉様ですわ」
と答えて、お雪もも退かない。こうなるとどちらも譲らないので、この日の晩はこの魚を二人で分けて食べることになった。
「全然足りぬなぁ」

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