小説

『カラカラ・ネーブルオレンジ』室市雅則(『檸檬』)

 おばあさんが、オレンジ色のオレンジを取り出した。
「カラカラ・ネーブルオレンジ」
「はい?」
「カラカラ・ネーブルオレンジや」
「カラカラ・ネーブルオレンジ?」
「うん」
 おばあさんは満足そうに頷いた。
「何すか、それ?」
「まあ、平たく言うたらオレンジやな。外国らへんの」
 レモンでなくて、オレンジ。しかも『カラカラ・ネーブル』だって。何だよ『カラカラ』って。でも、どうしよう。レモンの代わりになるだろうか。百歩譲って同じ柑橘類ってことで納得しようか…。
「お兄ちゃん、男前やから、あげるわ。特別やで」
 悩んでいる私の手にカラカラ・ネーブルオレンジを握らせ、おばあさんは餃子の『珉珉』を曲がって、三条通の方へと去っていった。

 私は手元に残ったカラカラ・ネーブルオレンジを見た。
 太陽がしっかりと沈む前の薄暗さの中で薄ぼんやりと浮かんでいる。
 やってみよう。
 だって、これしかないのだし。
 おばあさんが向かった方とは逆に曲がって、河原町通を私は目指した。

 くだんの丸善が入っている京都BALは大変お洒落な商業ビルである。
 通常であれば、このビルは私のようなものが立ち入ることができる雰囲気にない。だが、私の手元には『檸檬』ではないけれど、同じ柑橘類のカラカラ・ネーブルオレンジがあるのだ。
 くっくっくっ。
 誰が想像するだろう。誰が予知するだろう。
 私がカラカラ・ネーブルオレンジをポケットに忍ばせているなんて。
 今から、私はカラカラ・ネーブルオレンジをこの丸善に仕掛けるのだ。
 私のカラカラ・ネーブルオレンジは、爆発し、仲良く旅行誌なんて立ち読みをしているカップルや、真面目そうな顔で哲学書を選んでいる大学生を吹き飛ばすのだ。
 このカラカラ・ネーブルオレンジは全てを無にする最強の果実だ。
 いやカラカラ・ネーブルオレンジは…。
 めんどくせえ。
『カラカラ・ネーブルオレンジ』って言うのめんどくせえ。

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