小説

『ダニー・ボーイ』森な子(『ダニー・ボーイ』)

 中学生になっても俺たちは相変わらず一緒にいた。俺はもうほとんど日本人と同じように日本語が喋れていて、むしろ英語の方を忘れかけているくらいだった。そうすると自然に友達が増えて、色んな人と話をするようになった。
 一緒にいた、とはいえ、ほとんど俺がつきまとっているようなものだった。鈴はほかのクラスメートとどこか違う、大人びた雰囲気を持っていて、あまりクラスの人たちと積極的に話をしなかった。もちろん俺とも。俺が話しかけない限りは、決して自分から接触してくることはなかった。
 どうしてだろう。不思議だった。もっとたくさん話したいのに。日本語がうまくなればなるほど鈴が離れていく気がした。鈴はもしかして、カタコトの言葉しか話せない俺を憐れんで一緒にいてくれただけなのだろうか。そう考えるとものすごく悲しかった。
 鈴がピアノを熱心に習っている、ということは小学生の時から知っていたが、ある日全校集会で表彰されているのを見て、そんなに上手だったのか、と心底驚いた。何か大きな大会で金賞をとったのだという。大勢の拍手に包まれながら鈴は、ものすごく居心地の悪そうな顔で賞状を受け取っていた。
 どうして教えてくれなかったのだろう。そんなに上手なら聞かせてくれてもいいのに。そんな風に思いながら、背の順で並べられた列を崩さないように教室に戻る。すると、俺と同じように考えていたのか、クラスメートたちが鈴の机にむらがった。
「ね、ね、瀬尾さん。ピアノ上手なんだね。じゃあ十月の合唱コンは伴奏任せてもいい?」
「えっと……」
「うちのクラス、勝ったも同然じゃん!よかったあ、吹奏楽部の子も二人しかいないし、やばいかなーって思ってたんだよね!」
 きゃいきゃい騒ぐクラスメートの真ん中で、鈴はうつむいてぎゅっと拳を握りしめた。
 鈴は嫌がっている時髪を耳にかける。その時も、頬にたれた髪を右耳にかけて、耳の裏を指先で撫でるような仕草をした。
 その日の放課後、鈴を探して歩いていると、ピアノの美しい音色が聞こえてきた。あ、いる。と思った。音の鳴る方へ小走りで向かう。その音に聞き覚えがあった。そっと音楽室の扉を開けると、案の定鈴がいた。明かりの点いていない教室は、やわらかい夕陽の光が差し込んできらきら光って見える。鈴は俺に気づいても演奏をやめなかった。そっと椅子に座ってその美しい指先を眺める。
 なんだっけ、この音楽。知っている、もうずっと遠い昔に、どこかに置いてきた音だ。一生懸命考えても答えは出てこない。だから必死で探した。水槽の中の魚のように鍵盤の上を自由に動き回る指先を。長い睫毛に縁どられた瞳を、なんだか憂鬱そうな横顔を。
 そのいっそ残酷なくらい美しい旋律に耳を傾けながら思い出したのは、遠い昔に母と過ごした田舎町。夏の日差しの下で一面に広がる緑色を思い切り駆け抜けた。
 俺はなんだかとても小さい、おにぎりくらいのサイズの妖精か何かになって、鈴の奏でるピアノの音色を、譜面台に座っていつまでも聞いていたい、強く思った。それが叶うのなら死んでもいいと思えるほどの強い祈りだった。
 鈴は曲を弾き終えると、そっと鍵盤から指を離して、ゆっくりと俺を見た。
「……今の、なんて曲?」

1 2 3 4 5 6 7