小説

『六徳三猫士・結成ノ巻』ヰ尺青十(『東の方へ行く者、蕪を娶ぎて子を生む語:今昔物語集巻廿六第二話』『桃太郎』)

 聞いて相席の猿橋と雉ノ又、迷わず同じ注文をした。ともに大猫舌の大猫口なので、まさにお誂え向き、でも流石に気が引けて、各々ゲソ天とエビ天を追加する。
 届いた蕎麦は、温度と言い塩加減と言い猿と雉の好みにピッタリ、魔羅丘の塩辛さと熱さに閉口していたところだから、喜びはひとしおであった。
 とりわけ雉ノ又の方は、飛ばされて来たばかりの頃、ラーメン屋の親爺に汁が塩辛い熱すぎると文句をつけ、中華鍋用の鉄製おたまで打たれたのがトラウマになっていて、今でも思い出すと涙があふれて止まない。
「大丈夫ですか、雉ノ又さん」
 猿橋が気遣うも、雉ノ又、バーコード頭を振って鼻水すすりつつ、ひたむきに蕎麦をすすり続ける。
「あのう、失礼ですけど、お二人とも魔羅丘の方ではないですよね」
 犬丸が訊ねると、ふたり、いかにもそのとおり、じつは東京から飛ばされて来まして、などと身の上を語った。
 かくて、同病相憐れむみたく三人の親爺はすっかりと打ち解けて、普段はワンコイン止まりの犬丸が鴨南蛮の〈抜き〉3人前と純米大吟醸『猫又』二合徳利3本半も追加注文した。何かの間違いではないか、店主が確認に来る。無論のこと、鴨南蛮には〈汁薄く〉〈ぬるく〉との注文をつけた。
「そうすると犬丸さんはフィリッピンからいらっしゃったんですか」
 いかにも、犬丸、WHO(世界保健機関)の在マニラ・西太平洋事務局に勤務していたところ、減塩キャンペーン強化の特命を受けて送り込まれて来た。
 成人が一日に摂取すべき塩分量を5グラムとWHOで推奨しているにもかかわらず、魔羅丘では馬耳東風にして反省皆無。どころか、キャンペーンに喧嘩を売る如く、これ見よがしに高塩料理を貪るのだ。
 厚労省も当地が脳卒中死亡率日本ワーストワンであると警告しているのに何の効き目も無くて、毎年ワースト記録を更新し続ける。加えて、平均寿命も秋田青森ともどもワースト3を絶対外さない。犬丸の前任者達は絶望的徒労感に襲われて鬱病となり、次々に離職して行った。
 犬丸も着任当初は驚愕した。ラーメン屋で一杯を計測してみたところ塩分21・7グラム、じつにWHO基準値の4日分を超えている。そのうえ大半の客たちは醤油をかけ回して食すから、実際には5日分を上回るだろう。
 ある時なんか、犬丸が高塩食の危険について市民講演を行って外へ出てみたら、さっきまで感心して聴いていたおばはんたちが美味そうに濃厚醤油豚骨ラーメン(推定25・1g含有)をすすっていた。
 しかし、WHOには強制力が無くて、こういう現実に対しては無力感が募るばかりで、ひたすらに虚しい。鬱になるのもむべなるかなである。
「お気持ちわかります、わかりますよ、犬丸さん」
 雉が相槌打って
「いや、わたしもね、魔羅丘の労働局で労働相談員をしてるんですが、まったく、もう、話になりませんわ」
 ぐびり、盃をあおると、『猫又』の美味さに雉の目が丸くなる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10