小説

『天と地を求めるように宙を舞う指』もりまりこ(『蜘蛛の糸』)

 へらへらあたしは笑う。そこに置いてあったやわらかいフリルのついたハート型の生成りでできた、ベルガモットの香りのするサシェを、風間はあたしの背中に投げる。とりあえず、イラつく。それが力なく汚いリノリウムの床に落
ちた時、ふわっとベルガモットの香りが漂ってきて、あたしはため息をついた。
 しにたくなるね。それは声にしては言わない。最高のシチュエーションで死にたいだけだ、とかって、きまぐれに思ってみたりする。でもそれはぜったい、風間ではない。むかしすきだった鬼怒川、鬼怒川さんでもないような気がする。風間はあたしがサイトへの投稿を終わるのを待っているらしい。一生、待ってればって思いながら。ぐずぐずした日々を送り、それでも継父の元へと帰ってしまうことは、じぶんでも理由がみつからなかった。まるで、慣性の法則に似たものがあたしの身体に巣食っていたんだと思う。

 あたしが継父とのいきさつを話して、依存関係に陥りそうでこわかったって言ったらランくんは言った。それはストックホルム症候群って笑った。
 へぇなに? って狙ったわけじゃなくてきょとんとしたら、そのきょとんが隙ありやなって、たぶん誉め言葉じゃないだろうけどうれしそうにランくんは言った。
「つまり偽の依存関係やな」って。
 関西弁の語尾がなんかそそられた。
「その方が、もうからだもこころも楽になってんねん。なじんでんねん、ま、そういうことや」
 なじむって時間だね。
 ヘル。ここでは目をつむるといっきょに映像が浮かぶようになってる。
 走馬燈がずっと続いてる感じ。
 人の思い出した映像がいつのまにかトランスポートされてこっちで受信してしまう。だからけっこう人の物語のなかに生きてるみたいでうるさい。
 けれどランくんの映像はすきだ。

 青白い洞窟、ロストリバーデルタの中で、リバースポーツをしている男の人。
 そこには駆介くんがいた。瞬間、見入ってしまう。
「ランくん? これ」
「そう。俺」
 スタンドアップボードの類なのかわからないのだけれど。夜の暗い洞窟の中で、LEDの灯りを張り巡らせたボードが、軌跡を川面に刻みながら色を描いてゆく。らせんらせん。えがくえがく。あおじろいあおじろい。なにこれって思った。いつもこことはちがうどこかへのあこがれが地上でもあったから。こんなところにきても、あこがれてるじぶんに驚いた。
 いつだって唐突に人の自在すぎる動きを仰いでしまうことがあって、たぶんそういうときは、じぶんのどこかにはみだしたいエネルギー、逃げ出したい熱を感じてしまう、あのシャバの時の感覚に似ていた。
「少し昔にパルクールみた時の気持ちが甦ってる」

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