小説

『アババババ』三角重雄(『あばばばば』)

 いや、ダメだ。そんなことは聞けっこない。そんなことをしたら怪しい客だ。今はSNSの時代で何でもネタになり、ネットに載ったが最後、拡散されたデジタルタゥーに回収は有り得ないのだ。うかつに「私は望月保正です」だなんて、俺はアホか。
 いやいや、アホでもいい。いやアホじゃなければ話しかけられないじゃないか。この人目を気にする、シャイな、常識的で奥手な性格が災いして、私は二十八になるというのにいまだ独身なのではないか。そうだ、私はルックスだって悪い方じゃない。むしろ眼は大きいし、鼻筋も通っていて、顔の輪郭だってシャープで、我ながらイケメンだと思う。そうだそうだ、やっぱり私はシャイすぎるのだ。
 いやー、やっぱり無理だ。私は何を言おうとしているのだ。
「私は望月、あなたは秋月さん。同じ『月』のよしみで」
 な、なんて、言えない言えない言えない!同じ「月」のよしみなら、全国いたるところにいろんな「月」のよしみはあり、兵庫の神(こう)月(づき)、岡山の高月(たかつき)、栃木の五月女(さおとめ)…、
「あっ!」
 私は想わず小さく絶句した。ふと気がついてみれば、あの子の隣の男のレジの客が長すぎて私の前の二人の客は二人ともあの子のレジに行ってしまった。しかももうじき男のレジの客は会計が終わる。なんということだ…。
 レジに並び直そうと思って並び直せないこともないが、後ろには客はいないので、くるっと回ってまた一番後ろで意味はなく、やっぱりあの男のレジだ。後ろに客は誰もいないから、「もし、周囲に他の客がいなかったなら」という「話しかけ」の条件は整っているが、私が話しかけたい女の子は隣のレジだし、男に話しかけてどうするんだ。
「次の方、どうぞ」
 男に言われてしまった…。
      ※ 
 翌日も私はレジに並んだ。昨日のFRISKはまだ手元にある。欲しいからではなくあの子に話しかけるために手にしたのは、今日はMINTIAだ。今日は私の前には二人の客。今日こそ、あれ?あの子がいない。ちょっと目を離した隙に…。
 いた。客にいわれて棚から何か取ってきたのか?
 私が店員ならあの子を棚に飾っておく。そして時折取り出す。「棚から牡丹」、なんちゃって。
 あの子はすぐまたレジに戻ってきて、一人目があの子のレジに。ああ、あのカワイイ声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ~」
 とあの子。

1 2 3 4 5 6 7 8 9