小説

『沈黙の太陽』三角重雄(『名人伝』)

 最後の方の声はほとんど聴き取れないくらいにか細き声となり、語り終えたアシタはうなだれ、落涙した。その悄然たる様は、つい先ほどまでの覚者の生誕を言祝いだ際の歓喜の伯父とは別人のように見えた。深い物思いに沈んでいた伯父であったが、伯父は最後の力を振り絞るかのように面を上げた。その目にはもはや涙は浮かんでいなかった。代わりに決然たる光が宿っていた。アシタはその目に力を込めてナーラカを見つめ、先ほどとは打って変わった底力のある声で、ナーラカに、
「そこでお前に頼みがある。よいか、他でもない修行のことだ。お前は若い。あの方が成道し、仏陀となり、初転法輪する頃のお前はまだまだ壮健である。お前はワシの代わりにあの方に師事し、ダーマを聴いて悟道を歩むのじゃ。よいか、これはワシの遺言じゃ」
「伯父上、遺言だなんて縁起でもない。お気持ちは分かりました。ですが、伯父上も長生きされ、その方の成長を見守ってみたいとはお思いにならないのですか?」
「何度も言わせるな、ナーラカよ。これはもはや定まったことじゃ。ワシはワシなりに覚悟を決めた。一切をお前に委ねる。最後に一つだけ、あの方が覚醒されるまでの間の修行の要諦を伝授しておく。心して聴け。お前は二度と法論のための法論をやってはならぬ。よいか」
「はい。手痛い学びをし、懲りました」
「法論は禁ずるが、その代わりにお前は、沈黙行をやれ」
「沈黙の行ですか?」
「そう、沈黙行じゃ。お前はダーマの理解で衆を抜きんでいたかったのじゃろう?だったら沈黙行こそお前の近道だ」
「私はどのくらい沈黙すればいいのですか?沈黙は何故いいのですか?」
「いつまでもずっとじゃ。黙することは内に力を蓄えること。妄りに言葉を発しないことで、お前の中に神韻が醸される。よいか、自分の声が激変するまで一語も発してはならんぞ。沈黙行なくして仏陀の教えは理解出来ないのだ。もう一つ、沈黙行のコツじゃ。お前は毎日違う家に宿を求めよ。それは困難な行かも知れぬ。しかしお前には必要だ。お前は『沈黙行です』とも告げず、『寝場所を所望します』とも言わずして、毎日寝場所を得るのだ。若い頃、ワシも為した修行じゃ。できるな」
「はい」
「よろしい。お前の父にはワシから話しておく。最後に、あの方の名前を教えておく。お前の師だ。心に刻め。あの方の名は、ガウタマ・シッダールタだ」「ガウタマ・シッダールタ…。そうですか。では私からも最後に。マーヤー妃のお命は?と申しますのは、ガウダマ王子が不憫でならないからです。王子はいつ、母なき子になってしまわれるのですか?」

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