小説

『沈黙の太陽』三角重雄(『名人伝』)

「どこがどうおかしいというのだ」
「人にブラフマンを尋ねてどうしようというのだ。ブラフマンを知ったら言葉で云々ではなく、ただ梵我一如を生きればよいだけではないか」
 と、あたかも光の空から降って来た天気雨のような、有無を言わさぬ輝きを発する言葉を、ビシュヌはナーラカに投げた。ナーラカは彼の眼光に射抜かれ、二の句を継げなくなってしまった。
 すでに決着はついていたが、その後、二人はしばらく無言で向かい合った。ビシュヌが森閑としてあるがままに立っていたのに対し、ナーラカは己への落胆とビシュヌへの敗北感で、為すすべもなく屹立していた。
 時ならぬ雨が降ってきた。四月八日の昼下がりであった。
 うなだれてナーラカは帰宅した。そのナーラカを一人の客が待っていた。ナーラカが尊敬してやまない、伯父のアシタであった。ナーラカはアシタをひと目見るや、その異変に絶句し、己の失意はどうでもよくなった。アシタの姿は、悲喜二元の表情を同時に映す不可思議な水面のようであったのだが、水面は揺れ続けていた。伯父の激変を案じたナーラカは、
「伯父上、いかがなされた」
「いや、ワシのことより、先ず、お前の話を聞こう」
「しかし、伯父上こそきっと何か途方もない思いをされ、大きな何かを抱かれているかと」
「よい。先ずお前だ」
 そこでナーラカは、今日の出来事の一部始終を話した。すると、アシタの顔に第三の表情が表れた。それは甥をいたわる、いや、いたわる以上の何かを秘めた表情であった。
「全ては鏡じゃ。お前は、お前の敗北を望んだのじゃ」
「いえ、決してそのようなことは」
「では、なぜ挑む?いや、なぜ挑まねばならぬ」
「それは…、私はダーマの理解において優れている自分を見たいのです」
「自らを見ようとしないでか?」
 伯父の目が森になった。
「己の中にあるものならば、なぜ外に出してみようとする。ダーマを知っていればダーマを生きるだけじゃ」
 ナーラカはハッとした。己の胸に刻まれたビシュヌの言葉、「ただ梵我一如を生きればよい」と伯父の言葉が響き合って、ナーラカを圧倒したからだ。
「お前はワシのまねごとばかりして、自分を直視しない。だからお前は、自分でビシュヌをお前の目の前に立たせて、逃げるお前を叱咤したのだ。お前は修行を望むと口では言いながら、修行そのものに励むのではなく、修行者として名をあげることばかり妄想した。違うか?」
「いいえ…、伯父上が仰るとおりです」

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